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一を聞いて三十答える人

一を聞いて十を知る、ということわざがある。物事の一部を聞いただけで、全部を理解出来て察しがいいことを表す言葉。
今回はこの言葉とは全くニュアンスが違うけどたまにいる(これまで5人くらいいた)一を聞いて三十を答える人にフォーカスしてみる。

自分は3月下旬から新しい仕事を始めた。とりあえずお金貯めながら勉強するって感じでそのうち時期が来れば辞めるけども。地下の施設での肉体労働で、給料はペリカという通貨で支払われている。3日に1人は病気になるが、ペリカは病院では使えないので衰弱していく。

その話は置いといて、新しい職場でもこのタイプの人がいた、しかも3人も。自分はめんどくさいと思うと顔に真っ先に出てしまう正直者だから、長話をされている途中どんな顔をしたらいいのか分からなくなる。

新しい仕事をやっていると当然分からないことが出てくるし、どこに何があるかとか、どうやったらいいとかを周りに聞くんだけど、この3人に当たると危険だ。ハンドガンとマシンガンで闘うようなものだ。たちまち蜂の巣にされる。
ある意味その人たちは親切なのかもしれないけど、無口な人にそういうことは聞いた方がシンプルに答えてくれる。

中には聞いてるのに全く関係ない話をし始める人もいて(本人は答えているつもり)、話がくどいし正直聞かなきゃよかったとイライラしてしまう。
Do you 〜?で聞いてるのに、Yes/Noで返ってこない。自分が英語教師なら間違いなく不正解にする。
というか関係ない長話をされる時点でめんどくさいと思ってしまう。逆になんで聞いてることを答えてくれないんだろう。

ただそう言うと、なんでお前に合わせなきゃいけないとかなるかもしれないが、普通に答えてくれたら何も思わない。だけど実際自分のそういうことが気になってしまう人間の小ささにも問題があるし、どうにかしたいと思ってる。ニュートラルにその感情を見て、冷静になれるようになりたい。

自分がその人たちに興味がそもそもないからそう思ってしまうのかもしれないけど、やっぱり自分の人間性の問題なんだろうか。後者な気がするけども。
それとも自分は間違っていなくて、そんなの気にする必要はないし、相手にしなければいいだけなのか。そもこういうことを考えて文章にしている時点で人間としてどうなのか。

友達の長話は楽しいから多分自分の人間性に問題があるみたいだ。まあ直すつもりはすね毛程もないが、と開き直ってみた。ただイライラしないようにだけしたい。

ちなみに今までで1番話が長かったのは、学生の頃2時間も話を聞かされたときがワールドレコードになっている。話の内容は1mmも残っていない。YouTubeの広告の方が覚えてる。

そういうのを思い出してしまう自分にも問題があるし、そういうときは無感情に遠くから見れるようになりたい。

(おわり)

偉そうに書いたけど自分も話すことに関してはくそレベルだから記事消すか迷った