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仕事も試着していこう

2020.1.7.

「会社を辞めます。」
これを逃げと取る人もいれば、挑戦と取る人もいる。
事実に真実の意味を持つことができるのは自分だけです。

さて、いきなりですが
「3ヶ月弟子入り企画。」なんなら一週間。
私のやりたいこと、その1です。

私は365日、違う仕事をしたいと思っている人間です。
フリーランスになって8年。その中で沢山の仕事に触れてきましたが、それでもまだまだ勉強したいジャンルは増えるばかり。勉強したいことが溢れまくってます。

他ジャンルに触れることで得られる経験値って一つのものに特化することとはまた違うメリットがあると思っていて、その中で、もっと深掘りしたいものが見つかれば日数を増やせばいいだけの話で、これまでの人生経験、もしくは何の経験もなしに決めた企業に居座り続けるというのは、私の中では不思議なことで。もちろん「これが天職だ!楽しい!最高!」と思えるのであればそれは素晴らしすぎることなので、最高かよ!そのまま突き進めー!です。
でも、これだけ時代がものすごいスピードで流れていて、ここ数年で生まれた仕事も沢山あって、多くの業種に興味を持つことって変なことじゃないと思うんです。

多くの場合、触れてみないと自分に合うかの判断はできないし、どこに才能の種が眠っているか、芽を出すかは考えるだけではわかりません。得意と思っていたことが想像と違うこともある。

もし本当に毎日仕事が違うのであれば、休みとかを無視して一年で365。
一週間単位なら、一月4週だとして、48。
一ヶ月なら12。三ヶ月なら4つの仕事を経験することができます。

こんなことを言うと、なめんてんのかと思う人が多いと思います。
「仕事ってそんなもんじゃない」「1日で何が学べるよ」って。言いたいことはわかります。
でも、それが”たった”1日であろうと「未経験が経験に変わる」って、人生においてめちゃくちゃ価値のあることで、経験して判断したことって頭の中で判断した答えとは価値の重さが全然違うと思うんです。

私は一つの企業に3年半いたことがありますが、その3年分の知識が1日でわかるのか?と言われたらもちろんあり得ない話です。
部活もやってきましたが、基礎が出来るようになるまで何ヶ月もかかります。記録が作れるようになるのは年単位です。
1日で理解できることは限られていますし、起こりうる問題やその対処法、経験値は永遠に進化し続けるため、学べることは少ないでしょう。あくまでも仮入部、職業体験にしかならないとは思います。

でも、やっぱり「試着もできずに服を買わなくてはいけない。しかもその服は一度買ったらどんなにサイズが合わなくても、色味や形のイメージが違っていても、最低1年、なんなら3年、5年、10年は着ないと人間として信用されない。人としてあり得ない。」というのはなんだか、納得ができないんです。

もしかしたら他の服が理想的でサイズも色味も形もぴったりなものがあるかもしれない。そんな可能性が沢山あるのに、他の服を試着することは許されない。何の責任かわかりませんが、その服を年単位で着なくてはいけないという規則?規律?常識?が発生します。仕事という服は「着てみたらなんか違ったな」が許されません。

これって誰得なのだろうと思うんです。
「採用したからには働いてもらわなくちゃ」という企業側の得を考えるのであらば、サイズの合っていない服を無理やり着ている人より、スマートに着こなし、かつ、その服を気に入ってくれた人に働いてもらった方がプラスだと思うんです。その人のエネルギー、モチベーションは必ず新たな生産性を生むでしょう。
社長だけが似合うスーツを、無理やり着せられ、着こなすこともできない社員ばかりの会社に素晴らしいエネルギーが湧き続けるとは思えません。

でも、一度入社した会社を「辞めたい」と口にすると「お前は馬鹿か」という言葉がセットになって付いてくるのが日本だと思います。
日本も最近では副業が許される企業が増えたり、「自由な生き方をしよう」というワードが飛び交う時代になってはきていますが、「入ったからには責任取れよ、逃げんなよ」という思考がDNAにはまだまだ染み付いていると思います。

その結果、過労死や自殺というワードを耳にするのも事実です。
逃げることと命を守ることならば、どう考えたって命を守ることの方が正義です。その環境でしか生きれないなんて、決めつける必要もないのに、決めつけてしまうのはやはり周りに存在するこれまでの流れだったり言葉だったり空気だったり。

この場合「逃げろ」は、もののけ姫の「生きろ」と意味は同じです。
その服脱いでいいんだよ、サイズ合ってないから、腕曲がりにくかったよね。着替えよう、着替えよう、作業しやすい服を探そう。

そんな私みたいな人にはありがたいことに、ここ数年でインターンも大学生のものだけではなくなってきたようです。
社会人もいわば副業のような扱いでできる企業が増えてきているそうです。最高。

でも、まだまだ一部の企業だけというのが実際のところ。


私の感覚の例えで申し訳ないんですが、
音楽で例えるならば
人生の中で、これから先ずっと聴く音楽を選択してください。一つだけです。他の歌手を聞くのはご法度です。
この歌手にも、あの歌手にも興味があるかもしれません、昨日新しい歌手を見つけたかもしれません。ですが、どれか一つにしてください。決めた歌手以外の音楽を
聞くことは常識的におかしいです。他の歌手のライブに行くなんて許されるわけがないです。何を考えてるんですか、あなたは。
みたいなね。

海外は一生に1ヶ国しか入国できないです。さあ、どこの国にする?みたいな。
エジプトもインドもハワイも行ってみたいかもしれませんが、一ヶ所のみです。インド料理が肌に合わなくてもインド料理しか食べれません。っていう感じなんです。

もしこれを、そんな趣味みたいな話と仕事は別物だろ。責任が無さすぎる。っていうのであれば、「誇りを持てる仕事」というものに出逢うまで動き続ける、探し続けることの方がよっぽど人生の責任取ってると思うんだよね、それこそ諦めんなよ!自分の人生の責任から逃げんなよ!って、おかしいかな?

なので私は自分の人生を後悔させたくないので、気になる服は試着したいし、歌手もいろいろ聴いてみたいし、いろんな国を肌で感じたい。


私には寿命が見える能力がないので、自分が何歳まで生きれるのかを知りません。
もし仮に80歳まで生きるとして、あと50年もあるだろ、と言われてもその50年が元気に身体を動かして旅ができるとも保証されていません。
激しい音楽で踊れる身体はあと10年ぐらいかもしれない。
それでもクラシックしか聴いちゃダメだよ。もしロックを聴きたいならせめてあと5年後にしな。

その制限に何の価値があるのか。
今動ける身体、今熱を持っている分野、思考、それを大切にしたい。人生には「今」以外のものに絶対という保証は存在しないです。

明日があるなんて誰も約束してくれません。

なので私はくそ野郎万歳で、生きたいのです。
勉強したいことが沢山あるから、試着しまくるしかないと思うんです。こんなくそ野郎を納得させるには。
そんな中で最高に追求したいものが着れたら長くそれを着るでしょう。
違う服に魅力を感じたら、それもまた着てみるでしょう。

後悔をしない選択をして、エネルギーのある時間を過ごそう。
あなたも自由だ、私も自由だ。

今日も生きた。明日もよろしく。

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