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「違い方」その人に憧れる理由

「違い方」という言葉はないけれど

「私は人と違って」「私以外の人はみんな」・・・誰か人との違いを話す時、それが自然に受け止められる場合と、どこかに引っ掛かりが生じる時がある。
それは「違い方」だと思う。
森羅万象、一つ一つ同じものはないのだから「私」という存在だけが
他と違うような誤解。この「違い方」は垢抜けない。
自分だけの決意や我慢を裡に閉じ込めて胸を張る、そういう自分を自分で抱きしめられるように、他者のことも抱きとめることができる、一つ一つの違い、移ろいに心を留められる。
これがエレガントな違い方。(結局他者へのエレガントな尊重につながる)

自分は確かに他者と違うけれど、自分以外はみな同じであるかのような語りに少し圧を感じてしまう。
一方で、違い方がエレガントな人は、それそのものが輝く。

「いかで人に似じ」 朝顔斎院の処方
とても好きと公言している源氏物語の作中人物。朝顔斎院。
源氏物語の作中人物でありながら、どこかで私が作り上げた勝手な朝顔像がある。つまり、彼女は私の「違い方」の先生。

研修生時代の朝顔斎院の香り。
アクセントにしたのはラベンダーとパインニードルだった。
ラベンダーというと香水では当時はメンズフレグランスにもっぱら用いられていたし、もっと古い時代には動物性の重厚なオリエンタルノートの差し色のようなポイントとして使われてもいた。
またアロマセラピーでは万能精油といっていい。
北の大地の初夏のように冷涼な乾燥した気候の中でハーバルでドライな香り立ち。そこに北の大地の針葉樹の研ぎ澄まされた緑の香り。高貴さや美しさや、そういうものの中にきりりと一本の香りの筋がまっすぐに通っている、トップノートからラストノートまで常に変化する香りの中でその一筋が貫かれている。
朝顔斎院のイメージとぴったり重なった。

朝顔斎院の「いかで人に似じ」に、私はいつのまにか「違い方」という理想のあり方を重ねてしまっている。

お会いしてこんな気持ちを話したら、朝顔の方はどんな歌を返してくれるだろう。
ラベンダーの花が添えられてたりして。
(最後は妄想でごめんなさい)

#note100日
#コルクラボ
#adams

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