パリの街角で
202405031133 A.J.「パリの街かどで」
ずいぶん前のことである。
フランス・ディジョン(*1)での出張仕事が無事に済んで、私と同行の部下はパリに三日間ほど観光を兼ねて滞在した。
部下のイノウエ(*2)がパリ市内のおしゃれなカフェで私 (Jun) にこう言った。
「あのですね、Jun さん」
「なーに? イノウエ」
私は偉そうに彼を『イノウエ』と呼び捨てにする。その彼に私が言う。
「何かあったの? イノウエ?」
「あのですね、さっき僕、パリ市内の街かどを歩いていたんですけど、現地の女の子がフランスパンをステッキのように地面につきながら片手で持って歩いてたの、見たんですよ」
「ん? つまり長いパンの片方は手に持ってもう片方を地面につけてた、と言うのか?」
「うん」
「うそだろう、だって汚いじゃん」
「ほんとですってば」
再びイノウエである。
「ねぇねぇ Jun さん」
「なーに? イノウエ」
「さっき一緒に凱旋門を登ったじゃないですか」
「そうだったな、天気が良くてパリ市内を一望出来たな」
「でね、そこで日本語が聴(き)こえてきたんですよ」
私は気がつかなかったが日本人の若い女性観光客が2、3人いたらしい。
「それで?」
「で、ですね、彼女たち何(なん)て言ったって思います?」
「ありきたりだけど『きれいな街ね』とか…」
「それが違うんですよ、彼女たちは遠くを指差して『あれがアウトバーンかしら』って言ったんですよ」
「うそだろう、だってここはフランスだぜ」
「ほんとですってば、 Jun さん」
今、世界中の観光地で「tourism trap または over tourism(観光公害)」が問題になっている。実際にパリやその他の欧州の観光都市に行っても人だらけ、の感があるらしい。昔々訪れたチェコのプラハも今のスイスの有名観光地でも観光客であふれているそうだ。欧州では今は中国人観光客の団体をよく見かけるらしいが、しかしそれをしかめっつらで見るのもどうか、と思う。1970年代後半から1990年代の欧州観光地では日本人の団体がいない街はなかった。
根拠のない推測だが、ユネスコ世界遺産の指定も『行き過ぎた観光』の原因の一つかも知れない。
スイスか北イタリアの観光客が誰もいない山奥の木賃宿で一月(ひとつき)くらいボケ~っと過ごしてみたい、と思う今日この頃である。
(*1)Dijon。フランス中部の街。それほど大きな街ではないが、TGVの停車する駅がある。
(*2)イノウエは仮名
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