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「いだてん」第35回、「民族の祭典」に込められた優しくも痛烈な思いとは?

NHK大河ドラマ「いだてん」、9月15日放送された第35回は昭和11年(1936年)のベルリンオリンピックと、その直前に開催されたIOC総会の様子が描かれた。そのサブタイトルは「民族の祭典」。御存知の通り、レニ・リーフェンシュタール監督が手掛けたベルリンオリンピックの記録映画「オリンピア」の日本版タイトルをそのまま拝借したものだ。だが、タイトルこそまんま写しているが、ドラマで描かれた中身は同大会に対する強烈なアンチテーゼであった。

ベルリンオリンピックは、アドルフ・ヒトラーのための大会とも呼ばれる。第1次世界大戦の配線により打ちひしがれていたドイツ国民の心理を巧みに煽り立てたヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働者党、ナチスが、その力を世界に示す是好の舞台装置がこの大会だった。もっとも、ドラマでも度々語られていたように、ヒトラーはもともとオリンピックを毛嫌いしていたらしいが、宣伝相・ゲッペルスの入れ知恵などにより考えを変えたようだ。

ドラマの主人公・田畑政治(阿部サダヲ)は前回のロサンゼルスオリンピックと同様、日本競泳陣を率いてベルリンへ乗り込んだが、街中に掲げられたナチスの旗ハーケンクロイツや行き交う隊列の様子に激しい違和感を覚える。

そんな中、まずIOC総会が開催された。ここでは、次回昭和15年のオリンピックが東京に来るかどうかが決定する。日本にとってある意味、このあとの大会以上に重要なイベントと言えた。この会議のシーンで早速、“民族の祭典”の片鱗が描かれた。

時期開催地に立候補しているのは東京とフィンランドのヘルシンキ。もともとはイタリアのローマが最有力とされていたが、日本サイドの巧みな工作と、“ある力”により立候補を辞退していた。

日本はIOC会長ラトゥールに空前絶後の接待工作を敢行したが、投票の行方は全く予断を許さない状況。そんな中、IOC委員の嘉納治五郎(役所広司)は、中国(中華民国)のIOC委員・王正延と目が合う。昭和11年といえば、日中戦争開戦の前年。満州事変以降、両国の雰囲気が和やかなはずもなく、彼がヘルシンキに票を入れれば情勢はかなり不利になる。しかし、王は東京に票を投じた。王は嘉納に、「スポーツと政治は関係ない。同じアジアとして」との言葉を投げかけた。どれほど危機的状況でも、民族同士、わかり合える糸口はきっとあるということを、ドラマは訴えたかったようにも取れる。

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こうして、次期開催国は東京に決定する。その後のことはご存知のとおりだが、この時ライバルだったヘルシンキが東京より先にオリンピックを開催する運命になるとは、皮肉としか言いようがない。

そして、いよいよベルリンオリンピックの開会式を迎える。シーンは選手村。日本選手団は、特別待遇とやらで他の国の選手たちとは別の区域に拠点を構えることになった。世界中の選手たちとの交流があったロサンゼルスの選手村と全く違う状況に、田畑はまたしても戸惑いを覚える。そして、そこには通訳兼世話係としてユダヤ人の青年が控えていた。陽気に振る舞うその青年だが、鉤十字の腕章をつけたドイツ人将校が入ってくるや「ハイル・ヒトラー」と忠誠のポーズを見せた。ヒトラーが対外向けに民族平等を装うための道具として配置されたのがこのユダヤ人青年だと説明されていたが、彼がその後どのような運命をたどることになるのか、想像しただけで憂鬱になる。負の“民族の祭典”とでも言うべきか。

そして本格的に競技が開催されると、ヒトラーは連日、スタジアムを訪れ“わが大会”の酔いに浸った。しかし、陸上100メートルでアメリカ代表、“褐色の弾丸”ことジェシー・オーエンスが金メダルをとった際には露骨な黒人差別の態度をとったことがナレーションによって触れられた。

そんな中、男子マラソン(もちろん当時女子マラソンはない)がスタート。日本からは朝鮮半島出身の孫基禎、南昇竜が出場し、孫は金メダル、南は銅メダルと、金栗四三(中村勘九郎)もなし得なかった日本マラソン界の悲願を成就させた。

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そこで、ある出来事があった。表彰台に登った2人は、月桂冠を頭に載せ、君が代が流れる中、日の丸がポールに上がる様子に、目を合わそうとしなかったのだ。

1910年の日韓併合により、日本国民としてベルリン市内を走った2人だったが、生まれは紛れもない朝鮮の地である。ことの良し悪しを語るつもりなどないが、複雑な思いが首の傾き具合にあらわになったことを、攻めることなど誰もできない。そのことは、日本の庶民の多くも当然理解していたはずで、金栗たち東京でラジオにかじりついてレースを見守っていた人々のなんとも言えない空気はけっして史実に反したものではなかったのだろう。

その時、孫たちにシューズを提供した播磨屋の主人(三宅弘城)が言った。「日本人だろうが朝鮮人だろうがアメリカ人だろうがドイツ人だろうが、俺が作った足袋を履いてくれた選手はみんな応援するよ。それじゃダメかね?」

韓国との状況がぐちゃぐちゃになってしまっている今だからこそ、噛み締め、冷静に受け止めなければならない言葉ではないだろうか。なお、そんな庶民の意識とは裏腹に、朝鮮の有力紙・東亜日報は孫たちの写真から日の丸を消して掲載。当局から長期の発刊停止処分を受けている。

ベルリンオリンピックから80年以上の経った今、最悪の民族差別主義者ヒトラーは退場したが、胸を張って良い世の中になったとはとても言えないのが、現代世界の偽らざる状況だ。しかし、そんな中だからこそ、民族って本当は何なんだろうと、問い続ける必要がわたしたちにはある。そのヒントのカケラが、今回の「民族の祭典」に散りばめられていたのは間違いないだろう。

そしてドラマはいよいよ戦争の世界へ突入する。もちろんわたしたちは結果を知っている。その先に東京五輪が来ることも知っている。だがその間には、知る人ぞ知る人々の息吹が埋もれている。それを、しっかりこの目に焼き付けなければなるまい。

来週は、「前畑ガンバレ」だ。

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