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レコード夜話(第4夜)

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 歌謡曲を利用して、日本語の補助教材をこしらえてみよう――そう思い立った私でしたが、それまで歌謡曲には趣味も無くて、気持ちのうえではずっと縁遠くてあったことでしたから、それゆえに知っている曲などは多寡が知れたものだったのです。それでいながらも、歌謡曲で日本語の補助教材を作成してみようとなったら、どのような曲を採用したらよいのだろうか。途方に暮れるというほどに大仰なものではないにしても、これまでに知らずに来てしまった流行の曲だってあっただろうし、耳にはしたものの気にも留めずに聞き流して来てしまった曲もずいぶんあることではあり、まずは何よりも歌謡曲そのものを積極的にマジメに聞くことから取り組んでみよう――と思ったのでした。
 いったんそう思い立ってみると、それなりにちゃんとしたものにしたいと自身に思ったものでしたから、構想を練りつつ、素材となりそうな曲を探し、要点をメモして、少しずつ形にしていくことにしました。具体的な構想や内容に関しては詳述するまでもなかろうけれど、そうしたなかであらためて発見したり感慨を覚えたことどもを、この先少しずつ書きつけてみようかと思っています。
 どのような曲に素材を求めるかとなって、まっさきに思いやるべきはやはりその当時に流行っている曲だというものでしょう。歌謡曲で日本語の補助教材を作成してみようといったことを思いついた当時はというならば、先に記したようにザ・ドリフターズや天地真理などがもてはやされていたのでしたが、その後にかけて少しずつ構想を練っていくあいだうちにも、さまざまな歌い手が登場して来ていました。そうした歌い手とその歌については、この先にできるだけ取り上げることにしたいと思っているのですが、そうしたなかで、時期はちょっとズレて後ろの方になりはするけれども、ザ・ドリフターズや天地真理に匹敵する存在として、ピンクレディの女性コンビを挙げないわけにはいかないように思うのです。
 ピンク・レディの二人組も負けず劣らずにたいへんな人気でした。「ペッパー警部」で登場してきたのは、昭和51年(1976)の夏で、以来しばらくの間は、彼女たちの顔をTV放送のなかに見ないなんていうような日は無かったのだろうと思います。いや、私自身は歌謡曲の番組に付き合って見ていたわけではなかったのだけれど、きっとそうだったにちがいなかっただろう――と、周囲の喧騒ぶりからして回想しているのです。
 私の手許には彼女たちのレコードもまた、何枚かあるのですが、ジャケットを眺めやると、往時の彼女たちの活躍ぶりが昨日のことのように蘇ってくる気がします。上記の「ペッパー警部」の他にも「ウォンテッド」だの「カルメン77」だの「サウスポー」だのと、幾枚もあるのだけれど、なんといっても彼女たちのいちばんの代表曲として挙げるべきは、やはり「UFO」という曲でありましょう。この「UFO」という曲にあっては、その当時の幼稚園児や小学生などの女の子たちは、競って振り付けごと真似して歌っていました。身振り手振りつきで歌えなくては、女の子たちにとって、同じ世代としての連帯感が持てないのだ――などと聞かされていたほどでもありました。わが身の周辺にあっても、すっかりオバちゃんになってしまっている今でも、イントロを聞くと体が動き出す……などいう女性を何人か知っています。
 彼女たちは、そのコンビ名が態をあらわしているように、セクシィなコスチューム姿と歌うときの身ぶりが、人気の源だったんですなぁ。巷間に「お股ぱくぱく」などという言いがささやかれていたようで、それでもって年少の子どもたちばかりか、オジサンたちにもなかなかに人気があったようでした。日本じゅうでそんなだったのでしたから、日本語を学ぼう、日本語がわかるようになりたいといった彼ら彼女らにとっては、いやましにピンク・レディの曲のもたらす影響が小さからぬものであったこともまた、言わずもがなだったといって解ってもらえるのでしょう。
 さりながらです。彼女たちの人気がどれほど高くて、またその歌う曲がヒットを連発していたとしてさえも、それらの歌詞に目を通してみたときには、避け難い問題があったのでした。いかに実用性のある日本語を習得してもらおう・させようとしてのことではあっても、教室で学ぶための補助教材という観点に立つならば、素材として取り上げるのにふさわしくあったかどうか――そうしたこともまた解ってもらえるのではありますまいか。


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