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ジョブ型雇用について考える

岸田総理は、ニューヨーク証券取引所(NYSE)での講演で、日本企業にジョブ型雇用を促す指針を2023年春までに官民で策定することを明らかにした。すなわち、従来の年功序列型雇用の指標だった職能給から、職種に応じた専門性や業務の難易度を指標とする職務給を中心とする雇用形態に移行するというものである。職務給は欧米をはじめ他国ではかなり一般的な雇用形態だが、年功序列(≒終身雇用)が長く定着したわが国では、かなり斬新ともいえる変革と言えよう。それだけに、こうした変革には諸環境の整備など、慎重な準備が必要だと考える。
そこで、本稿ではジョブ型雇用に移行するにあたって整備すべき課題について整理したい。

1.年功序列型雇用形態の功罪

まず、年功序列型雇用形態の功罪について振り返りたい。
文献によれば、わが国に年功序列型雇用が広まったのは、若年労働層の割合が高かった終戦後から高度成長が始まった数年間のようだ。つまり、未成熟な若年労働層を一人前の戦力にするには、長期雇用を前提に企業の中でじっくりと育成する必要があったからと言われている。勤続年数が長いほど高い能力を持ち高パフォーマンスが期待できることから、高い地位と高い賃金が支給される“年功序列”が成立することになり、職能給という概念が定着したと考えられる。
こうした年功序列型雇用は、被雇用者にとっても大きな恩恵を及ぼした。最大の恩恵は、定年を迎えるまでの身分が保証されるとともに、職能給が上昇することで結婚・子育てといった人生設計が描きやすくなったことだろう。人生で最も費用がかかる年代は40歳代から50歳代にかけてといわれている。学齢期にかかる子供の学費や、高齢になった親の介護負担などが重なるうえ、自らの老後への準備も必要となる時期だからである。そうした点から、年功序列型雇用は使用者と被雇用者のニーズにも実に合致する雇用形態だったと言えよう。
しかしながら、こうした使用者と被雇用者双方のニーズが一致する前提には、業績が右肩上がりに成長することで賃金が確実に上昇していくといった要件が伴う。なぜなら、職能給の高い長期雇用者が必然的に増えていくことから、組織全体の人件費が高騰するからである。
下のグラフは、月間現金給与額と合計特殊出生率の過去60年間の推移をグラフにしたものである。

月間現金給与額と合計特殊出生率の過去60年間の推移

高度経済成長期の月間給与額が右肩上がりだった80年代までは、合計特殊出生率も1.7%を超えていたが、80年代後半の年収のピークを超えたあたりから下降傾向に転じている。その主な原因は、業績の拡大が鈍化したことに伴い、人件費が相対的に高騰したことにある。ちなみに、1.7%は人口が増減するウォーターラインと言われており、それ以上なら人口ボーナスが期待でき、それ以下になると人口は減少に転じると言われている。従って、今日の少子化の種はこのころ撒かれたと考えられる。
とりわけ、90年代に入りバブル経済が崩壊すると、組織全体の人件費の高騰に見合うだけの右肩上がりの業績向上が困難になったことから終身雇用型雇用が崩れ、さらに非正規労働という安価な労働資源に頼る傾向が強まり、その結果賃金水準がG7か国中イタリアと並び最下位となり、デフレが長期化したばかりでなく、最近のエネルギー価格の高騰や円安の影響から所得と物価水準のミスマッチが生じる事態となっている。

2.ジョブ型雇用が求められる背景

年功序列型雇用は、人件費の高騰のほかにも平均年齢が上昇することによる組織活力の低下や、若年雇用者層のモチベーションの低下など様々な因子が指摘されており、そうした課題に対する対応策として最近注目されてきた雇用制度がジョブ型雇用である。
ジョブ型雇用を最も早期に取り入れた国は、私の知る限りではスウェーデンだと考えている。実際、2008年に私が初めてスウェーデンを始め北欧諸国への視察の際に訪問した政府機関でも同様の説明があった。スウェーデンでは、職種ごとに細かく区分された労働組合が存在し、賃金交渉を始めとする労働環境に関する労使交渉を一括して行っている。個々の労働組合の上位に組合連合が存在し、交渉結果は組合連合を通して中央労働組合(ナショナルセンター)で決定するというプロセスが存在する。

スウェーデンの労働組合

こうしたナショナルセンターが存在することで、全国的な同一労働・同一賃金が成立する。その点から、企業ごとに労使交渉が行われているわが国の同一労働・同一賃金とは大きく異なる制度であると考えるべきだろう。
こうしたスウェーデンの労働モデルは、労働経済学者のイェスタ・レーンとルドルフ・メイドナーによって1951年に提唱された『レーン=メイドナー・モデル』が思想上の基盤になっている。つまり、同じ職種の労働者賃金を同一に設定し、賃金に対する利潤率が水準以下であればその企業にはリストラを含む合理化が求められ、それでも維持が困難な場合には企業が解雇権や倒産権を行使することになる。一方、賃金に対する利潤率が水準以上の企業は、拡大再生産のため労働力需要が生じ、失業労働者の受け皿になるという考え方である。その結果、労働の流動性が高まり、より業績が高く高付加価値産業へのシフトが継続的に進み、産業全体の新陳代謝が活性化していく。
このような雇用環境下では、雇用条件は必然的にジョブ中心型となり、一定の技能が身についていることが採用の前提とされ、“人材は企業が育てる”といったわが国のような発想は企業にはない。まさに、メンバーシップを前提とした年功序列型の我が国の雇用形態とは対極にある雇用形態と言えよう。

濱口桂一郎労働政策研究・研修機構労働政策研究所(JILPT)所長によれば、ジョブ型雇用とは以下の特性を持つものとされており、まさしくスウェーデンの労働モデルと同様の考え方であることが容易に理解できる。

ジョブ型雇用の定義

さらに、濱口氏は「ジョブ型とは最初に職務(ジョブ)があり、そこにジョブを遂行できる人をはめ込みます。評価はジョブにはめ込む前におこなうものであって、後は遂行できているかどうかを確認するだけです。普通のジョブに成果主義はなじみません」とインタビューに答えており、成果主義とは一線を画すべきだと述べている。つまり、成果主義はメンバーシップ型という従来の雇用形態に基づいており、ジョブ以前に企業という組織にの枠内で考えられた評価基準であって、これまでの年功序列型雇用形態における評価の一手段として位置付けるべきだろう。
繰り返しになるが、ジョブ型雇用とは職務ありきで、その職務を遂行可能な人材を募るという雇用形態であって、従来の“職能給”のような経験に基づく給与体系とは異なり、職務の重要度や難易度などに基づいた“職務給”により報酬が支払われるということである。従って、より高い報酬を得るには、それ相応の職務スキルを身に着けることが求められると同時に、獲得したスキルが活かせる職場と条件に見合った雇用契約を締結する必要がある。スウェーデンを始めとする欧米などでは労働者の流動性が高いが、ジョブ型雇用を促すということはこのような労働環境を視野に入れた環境整備が必須となるということである。

3.ジョブ型雇用を実現する上での課題

ジョブ型雇用に移行するには、克服しなければならない数多くの課題があり、わが国の労働環境において革命的ともいえる大変革が必要となる。それは、戦後培われた“労働観”という価値観との決別をも意味する。そこで、先に紹介した『レーン=メイドナー・モデル』などによる徹底したジョブ型雇用形態を採用しているスウェーデンの労働環境について考察しつつ、ジョブ型雇用を実現する上での課題について考えたい。
先に述べた通り、同一賃金・同一労働を徹底しているスウェーデンでは、ジョブに見合った賃金水準が保証されており、そうした労働市場の要求に対応できない企業は容易に淘汰される。その結果、倒産やリストラに遭遇し一時的に職を失う労働者も数多く現われる。こうした事態はジョブ型雇用の宿命であるともいえ、ジョブ型雇用を導入するに当たっては周到な対策を講じておく必要がある。
スウェーデンでは『積極的労働市場政策』により、実に国家予算の9%を投じている。この政策の根底には、国民に能力向上と労働を求める「労働と能力の理念(Work and Competence Concept)」という価値観が存在しており、リスキリングのための教育体制、実務体験(インターンシップ)に加え、労働斡旋庁(Arbetsförmedlingen)を中心とした徹底した雇用創出行政施策などが整備されている。
労働斡旋庁は全国にある職業安定所の上位にあたる機関である。職業安定所は、わが国のような求職活動支援を中心とするサービスを実施するが、根本的な違いは失業者の再雇用に一定の責任を負っていることである。具体的には、職業安定所の職員は失業者と共同で職業復帰計画を策定し、必要に応じて技能習得のための職業訓練やインターンシップ、企業支援などを含む労働支援プログラムの策定と遂行を行う使命がある。こうしたプログラムを受講する失業者には、その間社会保険庁(Försäkringskassan)から活動支援手当が日給として支給され、その財源は事業主が負担する労働市場税が充当される。
また、長期間失業状態にあった者を再雇用する企業には、下図のように様々なケースに沿った雇用助成金が社会保険庁より支給される、“ニュースタートジョブ(Nystartsjobb)”と呼ばれる制度がある。

スウェーデンのニュースタートジョブ制度

このように、ジョブ型雇用を円滑に成り立たせるためには、労働者の職場転換がスムーズに行えるための制度構築などの環境整備が必須となる。こうした制度が未成熟のままジョブ型雇用に移行すれば労働市場は大混乱に陥り、リーマンショック後の米国のように大量の失業者が路頭に迷うといった事態すら想定される。
スウェーデンは高福祉国家と呼ばれており、こうした諸制度が充実していることでも知られているが、注意すべきはこれら制度が必ずしも人道上の動機だけで成り立っているのではないという点である。むしろ、経済上の国益を追求した結果の政策と考えるべきだと感じている。すなわち、労働市場に流動性を持たせることは生産性が高い高付加価値企業を成長させることにつながり、国内産業の効率的な新陳代謝を高めることにつながる。また、労働者のリスキリングを徹底して行うことで、新たな人材発掘の可能性の幅を広げることになる。こうした経済政策上の狙いは、まさに『レーン=メイドナー・モデル』が理論的基礎になっていると言っても良いだろう。

4.我が国におけるジョブ型雇用の可能性

さて、冒頭で、「岸田総理が日本企業にジョブ型雇用を促す指針を2023年春までに官民で策定すると明らかにした」とニューヨーク証券取引所で述べたことを取り上げたが、果たして総理はここまでの労働環境の革命的な改革が伴うことも視野に入れておられるのだろうか?もしそうだとしたら、2023年春までという期限はあまりに短すぎる。前述したように、拙速に行えば労働市場は大混乱に陥り、行き場を失う失業者が巷に溢れることになる危険をもはらんだ政策である。
また、メンバーシップ型雇用制度の枠内でジョブ型雇用の併用を考えておられるのであれば、ほとんど実効性のない絵に描いた餅で終わってしまうだろう。なぜなら、前述の濱口桂一郎所長が指摘された通り、両者は全く別物だからである。まさに、木に竹を接ぐような結果になりはしないかとの不安がよぎってしまう。
大手企業を中心にジョブ型雇用を推進する動きは出ているが、いずれの事例をみても一企業内、言い換えればメンバーシップ雇用の範疇で様々な試みが行われているように感じる。2020年4月に施行された『同一労働同一賃金に関する法律』における政府の指針を読んでも、企業側に要請する内容が大半で、労働市場全体を俯瞰した政府(行政)の役割についての具体的な記述を見つけることはできなかった。政府が大所高所からの方向性を示し、その実践は民間に委ねるという姿勢では、ジョブ型雇用に向けた変革という大事業を成し遂げることは極めて困難であると断言する。
ジョブ型雇用が普及すれば、従来の職能給のような年功序列型賃金体系は徐々に廃止されることになるだろう。その結果、住居費や学費などを含めた生活費負担が最ものしかかる40歳代から50歳台の賃金が順調に伸びていく保証はなくなる。より高賃金を得るには、自らにリスキリングを課してより好条件な職を得る努力を行っていくしかない。こうした炉王道環境に適合していくには、従前の労働観という価値観を根本から改める必要がある。同時に、リスキリングを円滑に行える教育環境を政府をはじめ行政機関は用意していく必要もある。
また、政府は高齢化社会を意識して定年の70歳までの延長も打ち出しているが、ジョブ型雇用政策との折り合いはどのように考えているのだろうか?個人の能力を年齢で測ることは無意味だが、高齢者が適材適所の職に巡り合うことは一般的に極めて困難なことである。逆に、強引に高齢な労働者をメンバーシップ雇用の枠に押し込めてしまえば、組織内で様々な軋轢が生じることはすでに多くの企業が経験したことである。高齢労働者は多くの経験を積んだベテラン社員ではあるが、一歩間違えると積んできた経験が足かせになり、未経験な新たな変化への対応に躊躇することも多い。その結果、組織のダイナニズムが削がれてしまう可能性も高い。バブル崩壊以降の失われた数十年は、まさに経験の奴隷と化しダイナニズムを置き忘れてしまった年月ではないだろうか。今日、ジョブ型雇用が注目されるのも、このようなダイナニズムを再生したいという切実な願いがあってのことではないのか。

このように、企業(民間)努力に委ねていても労働環境の改革を実現することはできない。そこで、ジョブ型雇用実現に向けた最低限の政策として、以下の提言を行いたい。

【提言1】ハローワークを高度な人材マッチング機関としての充実強化
ハローワークの職員は、失業者個々人の希望や特性に寄り添った職業復帰計画を策定し、再就職に向けた具体的な支援を行うとともに、再雇用に向けた企業側ニーズを把握し、労使双方の橋渡し機関としての役割が求められる。こうした一連の役割の遂行には、豊富な経験と人脈に基づいたキャリアコンサルタントとしてのスキルが不可欠であり、そうしたスキルの醸成には、社会保険労務士を始めとする外部の専門家人材との連携が欠かせない。社会保険労務士が独自に実施している経営労務診断サービスなどもより拡充させ、専門家の視点から企業への労務環境などをチェックし、職業復帰計画に盛り込んでいく必要があろう。また、スウェーデンでは再雇用後最低1年間は組織との適合性などを職業安定所で注視しているという。失業者が希望する企業に再就職を果たし、さらに期待通りの労働環境で仕事に従事できることで初めて付加価値が生める労働力となる。こうした観点から見れば、再就職後のチェック体制も再雇用者が組織に定着していくうえでの重要な役割と言えよう。

【提言2】雇用労働環境整備に関わる政策立案と実施体制の一本化
雇用・労働問題は、極めてすそ野の広い政策分野である。厚生労働省内だけでも雇用均等・児童家庭局、職業家庭両立課、育児・介護休業推進室、短時間・在宅労働課、均衡待遇推進室など多くの部局が関係しており、それぞれに政策を立案推進している。また、厚生労働省以外にも、内閣府や経済産業省などの多くの省庁の部局も関わっており、スウェーデンの事例でもみられるように、労働市場を安定化させるための助成金や給付金の創設や、そのための財源確保のための歳入手段なども関係してくる。このようにすそ野の広い政策分野では、実施体制の明確化を図るための総合戦略が重要となる。従来、骨太の方針など政府の総合戦略が毎年のように作成されてきたが、実施主体が所管省庁の各部局に委ねられてきたことで、政策遂行上の統一性や責任の所在が曖昧になる事態などが散見されもした。国家経済の再生に向けた根本的な方針の策定と推進には、大きな権限と責任を持つ一本化した司令塔を確立し、その下での明確な体制作りが欠かせないと考える。

【提言3】起業の迅速かつ効率的な手続きの実現
ジョブ型雇用の定着に当たっては、事業創出プロセスの効率化も重要な課題である。従来、起業に当たっては公証役場、法務局、税務署、地方税務課、年金事務所、労働基準監督署、ハローワークなど様々な機関に申請を提出することが求められ、各々の機関における審査も伴うことから相当の日数を要した。こうした起業(会社設立)に関わる諸手続きを一本化、迅速化することが必要である。起業行為が簡便化、迅速化することで、新たな事業へのチャレンジ機会も拡大し、ジョブ型雇用の出発点ともいえる職務提供機会の拡大につながる。

今日のわが国は、人口減少と少子高齢化の加速化、失われた数十年、見出せない成長戦略、産業イノベーションの遅れ、財政赤字の拡大など様々な問題に直面しているが、雇用労働問題は、これら諸問題の肝となる部分である。それだけに、雇用労働環境の改革は避けては通れない最重要の課題である。低迷する賃金水準や依然解消されない非正規雇用問題など、国として取り組むべき課題は山積している。それだけに、口先だけの政策表明に終わるのではなく、実態の伴う現実的な改革戦略の提起を強く求めたい。

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