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雑感 ー 茹でガエル

先日、ある団体(実名を挙げるのは避けるが、推測がつく人もいると思う)の会合で、今日のわが国が抱える共通した限界がはしなくも垣間見られてしまった。それは、どう考えても当初の目的を満たすことができず機能不全に陥っている団体に代わって、新たな団体で事業を計画した際に往々に生じる猛烈な反発現象である。
新たにできた組織が成功すれば、元の団体の面目が失われてしまう。こうした反発する側が抱く心理状態は手に取るように分かる。そのために、揚げ足取り的な反論を繰り返したり、発言に割って入るなど様々な手練手管を弄し、それにも安心できず会議のあとに仲間の一部を集めて裏工作を図るなど、よく出くわす場面が展開される。同様の修羅場をくぐってきた経験では、こうした空疎な議論において相手を完膚なきままに叩きのめしてもロクな結果にはならない。適当なところで物別れのまま引き上げ、次回の機会までに相手の主張をつぶすネタを準備する方が賢明だと思っている。
しかし、本当の修羅場は、議論に勝って?思い通りの方針は決まったあとの実践に向けた準備・実行段階に訪れる。つまり、様々な場面で妨害を受けることを覚悟しなければならない。さすがに私はそこまでの経験はないが、身に覚えのない嫌疑をかけられて失脚させられた人を身近に知っている(実は、この私もかなり以前にライバル企業から贈賄を示唆され、検察に呼ばれたこともある・・・もちろん無実を証明したが、かなりストレスを感じた)。まさに、ロシアーウクライナの間で行われている情報戦のようなことは、意外なほど身近な場面でも行われている。
・・・さてさて、組織を変える、世の中を変えるなどと高い目標を持って新たな事業にチャレンジするには、このような様々な障壁を覚悟しなければならない。おそらく、「生活もあるし、とてもそれほどの覚悟は持てないよ」「分かっているけど自分には到底できないよ」と思う人が大多数なことも当然と言えば当然で決して批判することはできない。そうこうしているうちに、地盤沈下は容赦なく進んでしまう。
《茹でガエル》という言葉がある。カエルを水槽に入れ、下から弱火でじっくり熱していくと、水は温くなりカエルは春になったような心地よさを感じる。そうした暖かさにも慣れていくうちに気が付けば茹ってしまうという比喩である。茹でガエル現象は、決して一組織、一地域に限った話ではない。日本全体がある意味で茹でガエル状態にあると言ってもいいのかもしれない。
果たして茹で上がるまでじっと傍観しているか、はたまた火を止めて安全な水に戻してあげるべきか?しかし、いきなり水に戻されたカエルは水の冷たさにビックリして恨まれるかもしれない。そんなリスクも考慮しつつ身の処し方を考えていく必要がありそうだ。
「智に働けば角が立つ、情に掉させば流される、意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」・・・漱石の『草枕』の冒頭がよみがえる。

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