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士業広告今昔

櫻井 光政
弁護士
士業適正広告推進協議会 代表理事

昔話

私が弁護士登録をしたのは昭和57年( 1982年)です。ロシアもウクライナもソビエト連邦という1つの社会主義国家に属する国でしたし、お隣の韓国では朴正煕大統領暗殺の後に権力を握った全斗煥が大統領になり、軍事独裁を敷いていた、そんな昔の時代です。

弁護士が日常の業務にコンピュターを使用することはなく、どこの法律事務所にも専属の和文タイピストがいました。ワープロは市場に登場していましたが、業務用のものは400万円程度、画面が数行程度しか表示されないパーソナルユースのものでも100万円近くしました。

文章のやり取りにしても、もっぱら郵送に頼っていました。今では時代遅れの伝達手段とされているFAXも未だ普及していませんでした。

ちなみに私が最初に所属した事務所がワープロを購入したのが昭和59年。このときは業務用のワープロの価格が100万円程度まで下がっていました。FAXの導入はその翌年、所長に導入を進言したものの却下されたので、自費でローンを組んで購入しました。感熱ロールペーパー使用の機種でしたが、それでも100万円ほどしました。

ワープロは価格低下とともに急速に普及し、和文タイピストは法律事務所からその姿を消しました。文書作成は「キャノワード」、「書院」、「文豪」などのワープロ専用機が担うようになりました。昭和の時代はそのようにして過ぎました。

当時の弁護士広告

それではこの時代の弁護士広告はどんな状況だったでしょうか。

当時の弁護士業界には昭和30年に制定された「弁護士倫理規定」がありました。この前文には「弁護士は財を貪らず権勢におもねらない」という一文があり、私はこの一文が大変気に入っていたのですが、この規定は広告宣伝については消極的でした。「弁護士は品位を損なう広告宣伝をしてはならない」と定められており、この定めは平成2年に新たに制定された「弁護士倫理規定」にも引き継がれました。

ここにいう「品位を損な」わない広告宣伝とはどんなものでしょうか。具体的にイメージされていたのは新聞の名刺広告などが典型です。あるいは電柱の袖看板くらいでしょうか。TVやラジオのコマーシャルは論外と考えられていました。

今日士業広告の中心となっているインターネット広告は、まだ議論の対象にもなっていません。

弁護士が汎用コンピューターを使用するようになったのは、平成7年に、それまでと比較して操作性が飛躍的に向上したWindows95が搭載されたパソコンが発売されるようになってからのことです。

千本ノックを経験

私の事務所がホームページを作成したのは平成9年のことでした。これは、私に先見の明があったわけではなく、当時顧問をしていた広告宣伝会社が制作を申入れてくれたのに応じたものでした。当時、ホームページを作成・公開している法律事務所は、私の知る限り他にありませんでしたから、そもそもホームページの公開自体が広告規制に反すると言われるのではないかという危惧がありました。そこで日弁連にお伺いを立てることにしました。

電話に出た担当職員に、「ホームページを公開したいと思う。内容は事務所の存在と活動を知らせるにとどめるもので、積極的に顧客勧誘などをするものではない。」と説明しましたが、職員の回答は「法律事務所がホームページ作成公開することの是非については現在日弁連でも議論の最中であるから回答しかねる。」というものでした。

所属団体から明確な禁止がなされるならともかく、そうでないなら法律の専門家である私自身の法的知識と良心に従って判断すればよいと考え、公開に踏み切りました。また、弁護士にアクセスできない人のために無料のインターネット法律相談のコーナーを設けたところ、年間2000件程度の相談が寄せられるようになりました。これらの相談に回答することは、私にとって、喩えて言えば野球の千本ノックを行うような修練になったと思います。

そして、今

それから早四半世紀。インターネットによる広告の普及により、新規に開業する弁護士の集客は、もっぱら紹介に頼っていた昔と比べてはるかに容易になりました。また、利用者にとっても、弁護士へのアクセスが容易になりました。広告は、士業にも利用者にも多大な恩恵をもたらしました。ただそれだけに、今後は、影響力が大きくなった広告の質はこれまで以上に問われることになるでしょう。

当協議会も、士業と利用者がともに恩恵を得られるような、質の高い広告の普及の一助となりたいと願っています。

以上


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