「好きを仕事にする」について

 2年ほど前のことだが、りこぴんさんという人のnote「好きを仕事にって言うけど結局どういうことなのか」を読んだ。

 「好きなことを仕事にする」については賛否両論ある。「やってみないと何が好きかなんてわからない」という意見もあるし、「嫌だと思っていたのがやってるうちに好きになった」ということも結構あるだろう。そもそも「好きに職を選べる状況じゃない」場合だって多い。とはいえ現在ほど様々な職を選べる社会というのは歴史上あまりなかったとも思う。自分自身は比較的恵まれた時代でもあり、幸運にも好きなことを仕事にできたと思う。でも50歳を過ぎてその是非について改めて考えてみた。


 なるほどと思ったのは筆者が「本が好きだから書店で働いてみて」理解したのは、自分が「本を売買するのが好き」なのではなく「本を読むのが好き」なのだということ。当たり前のことだけど意外に気づかない。この場合同じ「本が好き」というくくりでも、「大好きな本に関わっていられれば幸せ」という人から「本を読むことだけが好き」、「いつか本を書きたい」という人まで様々だ。自分が漠然と「好き」と感じるものについて、その対象のどの部分が本当に好きなのか、好きでない部分はあるのかを検証してみる必要がある。


 筆者はその方法のひとつとして「作業」というキーワードをあげている。これもまた別の本からの引用になるが「仕事というのは結局“作業”である」ということ。どんなに華やかに見える仕事でも突き詰めていけば殆どの時間は地道な“作業”に占められるもの。その“作業”が苦にならないかどうか、を「好きかどうか」の基準にするといいというもの。

 自分の人生を振り返ってみるとそれはすごく頷けるものだった。
 僕は美術の短大を出て20歳のときに地元名古屋の小さなデザイン事務所に就職した。地元のタイルメーカーのカタログやCI(コーポレート・アイデンティティ)と称してロゴなどをつくったりしていた。その後名古屋の小さな広告代理店を経て上京し、渋谷の小さな制作プロダクションを挟んでやっと有名な制作プロダクションに採用されて有名企業のCMやグラフィック広告を作るようになった。その後外資系の広告代理店を経て独立、3年ほどフリーランスのアートディレクターとして活動したのち、好きなクラフトビールのブルワーに転身して今に至っている。

 一貫して好きなことをしているようだが、実際のところ「こんなはずじゃなかった」の連続である。だからこんなに転職が多いのだ。自分の「好き」の定義が甘かったということなのかもしれない。ただ、そんな中でも僕は“作業”があまり苦にならない方なのだと気がついた。

 グラフィックデザインの仕事の場合、地味な作業が延々と続く。アイデアを考えたり資料を探したりとかは比較的楽しそうに見えるかもしれないけれど、夜中に何百ページもあるカタログをレイアウトをしていく、とか、ロゴを何十個も作って検証していく、とかいうのはかなり地味な作業だ。でもそういうのはあまり苦にならなかった。やっているうちにより効率的な方法をみつけたり、新しいアイデアを思いついたりして時間を忘れて没頭する。だからなんだかんだで30年近く続けることができたのだろう。

 いっぽうで今のクラフトビールというのはどうだろうか。レシピを考えて試作したり、商品構成を考えたりするのはいわゆる「アイデア出し」であり、実際の生産工程になるとこれはもう「作業」の連続だ。仕込み、発酵管理、樽詰、充填、ラベル貼り、出荷、樽洗浄…。さらには苦手な帳簿付けや酒税申告に伴う税務書類製作など果てしない作業がつづく。

 本当は「自分はただクラフトビールを飲むほうが好きだったんじゃないのか?」と自問することもたまにある。作業が好きだとまではまだ言い切れないのだ。まだいろいろうまく行かないのをとぼとぼと改善しながらなんとかやっているから。美味しいビールができて、お客さんが喜んで飲んでくれるまで、これは苦行なんですよ…。うまくいかないとね。

 だけど、日本において僕のような未経験者がいきなりヘッドブルワーとして仕事に就くということは普通ありえないことで、非常にラッキーなことなのだ。だからこれはもううまくいくに決まっていると信じてやっていこうと思う。

 「好きなことを仕事にした」と言えるかどうかは、まだわからない。さらに経済的な成功につながるかどうかはもっと分からない。ただ、こうしてクラフトビールに関わって生きていけていることだけは確かで、これは感謝しかない。この気持は忘れないようにしようと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?