7月11日
息子が14歳を迎えた。
祝う気満々の私に対し、息子の返答は
「減量中だし、申し訳ないけど予定がある」
😂😂😂
7月末に出場するスポーツの大会に向けて減量中なのは知っていたけど
さすがに誕生日まで食事制限しないだろうと考え、ちょうど中学校の三者面談期間だったから面談日を11日で希望し、有給も取っていて
(面談後に一緒にケーキでも買いに行こう♪)
と勝手に予定を立てたのが良くなかった。
改めて自己判断しないことや事前確認の大切さに気付かせてもらった。
そして、
少しづつ家族の元を離れていく姿を寂しいと感じたことで、子離れできていない自分がいると知った。
当日に入っている予定は友達とか彼女がお祝いしてくれるのかな〜?と思ったら
常日頃から、家族を除いて1番信頼してると言っている一回り以上も年上のお兄さんがプロポーズをするからサプライズゲストで登場するんだと言う。
1ヶ月ほど前に、そのお兄さん(Tくん)の彼女に子供ができて結婚するんだよ、と聞かされ
おめでたいね〜✨と話してはいたけどまさかの展開すぎた!!
マイペースな息子らしくもあるけど。
家族でのお祝いはスポーツの大会後の8月に繰り越すことになったけど、誕生日プレゼントは当日に渡せたし、Tくんの彼女にサプライズをするまでかなり時間があって
一緒に準備したり時間を潰していたから、何だかんだで2人でいた時間は今までの誕生日の中で1番長かったような気がする。
出来事にはすべて意味があると言うけど、予想外の1日は素敵な姿を見る機会となり人の幸せを心から喜び行動に移せる所や人との繋がりを大切にする息子を尊敬した✨
まだ未熟な面は多いけど、中学生になって心身ともに大きく成長をしていると感じるし、考え方も言動も日に日に大人びてきていて子供より青年という言葉の方がしっくり来る。
朝起きて私が隣にいないと「ママ〜!」と泣いてた頃が懐かしい。
思い返せば、息子は赤ちゃん時代から我が道を行く子で7月11日の20時17分、32週目の7ヶ月で
私のお腹から出てくる事を選んだ。
たった1512gの小さな体は両手に収まり、生まれたての子猫と同じほどのサイズで見た目は真っ赤でシワシワなおじいさん。
分娩室の外には両親が待っていたので
初孫と感動の対面✨…が出来たのも束の間でNICU(保育器)がある病院に搬送されることに。
NICUはどこの病院でもある訳じゃない上に定員数も少ないそうで、地元だと私が出産した病院から車で10分くらいの距離に1ヶ所あるけど、もしそこに空きがなければ数時間もかかる離れた場所になると聞かされていた。
でも運よく空きが1つだけあった。
切迫早産だった割には産後の経過がよくて、翌日には外出許可が出たので会いに行くと鼻にチューブを通した姿が痛々しかった。
その後、息子が退院する2ヶ月の間は毎日通って何時間も眺めていた。
ある日、NICUの中でブリッジ脚だけver.を何度も披露してくれた時は笑った🤣
何となくドヤ顔だったような…
低体重児が関係しているか分からないけど
保育園時代には遠視が発覚し瓶底メガネ
小学校入学前には軽度のADHDと診断
気持ちを表現するのも下手で、友達と仲良く遊べるようになったのは確か小学校4年生頃だった。
息子いわく
私のことを嫌いというか遠ざけたり冷たくした時期もあったらしい。
数えきれないくらい色んな壁があって越える為に私も試行錯誤してきたけど結果的に息子自身で克服してきたと思う。
自分で道を切り開き、選び、進んで行く。
それが息子の生まれ持った性質なんだろう。
私の両親や家族、保育園や学校の先生、たくさんの友達や関わってくれている人達、私と同じくらい真剣に接してくれる婚約者
みんなが一緒に子育てをしてきてくれて、成長を見守ってくれているからこそ今の息子がいて本当に感謝しきれない。
そして
息子が家族の元から巣立って行くのをもっと喜び応援しよう!と思った。
最近、悪阻が起きる原因は
【体が赤ちゃんを異物だと感じるから】
と聞いたのだけど
ありがたい事に私は「吐きそうかも」が3回起こった程度で、体重が増えたりお腹が大きくなる以外は妊娠前と変わらない日々を送れていた。
⇧の説が正しければ、私の体は息子を体の一部として受け入れてたということになる。
そんな所からも息子の存在の優しさに気付けて、より一層愛おしくなった。
2009年 7月11日 20時17分
予定より早く私の元へやってきた天使
14歳のお誕生日、本当におめでとう🥰
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