見出し画像

休みにハイキングなど

年が明けてしばらく経った。ハンガリーだとクリスマスが一大行事で、正月は休みだけれど、明けるとすぐに新年が始まるので、あまり日本のようにゆっくり過ごすというような雰囲気もない。私も二日から学校に行き始めて、全員ではないものの他の学生や先生もゆっくりと大学にきて仕事の準備に取り掛かるという具合だ。

これまでヨーロッパでの年越しは三回ぐらいあるだろうか。日本に帰った年もあったが、近年は休みも長くないのでハンガリーに滞在することが多い。ヨーロッパの友達は家に知り合いを呼んでパーティをしたり、あるいはクラブに出向いて音楽に揺られながらニューイヤーを迎えたりなど、静かに過ごすというよりは楽しむ行事のように思える(その代わりこちらのクリスマスが日本の正月のような感じで、外に出れば観光地以外はカフェもスーパーも閉まっているし、公共交通機関も本数を減らして運行している)。

年末年始と長い休みがあったが、大学院生の休みというのは自分の研究の都合などによるので、たとえ世間が休みであるからと言って、私も休もうという気にはなかなかなれない。大学院生特有というような書き方をしたが、日本では学生に限らず働く人々にも蔓延している「病」みたいなものでもあるかもしれない。

ヨーロッパにきてよかったなと思うのは、ちゃんと休暇の概念をみんなが持っていて、休むのは悪いことではないし、むしろ生産性を上げるために必要なことだと、なんとなくみんなが共有している空気に触れれたことだ。もちろん中にはワーカホリックな人もいるが、しかし欧州の研究者は北米のそれと比べても研究と私生活というもののバランスをしっかりとっている気がする。仕事するときは仕事するし、遊ぶときは遊ぶ。

そんな中、周りの大学院生がどうやって休みをとっているか観察してみると、読書、ゲーム、ネットフリックス、SNS…といった自分一人でできることはもちろんだが、意外とソーシャルな活動が多いことだ。一緒に映画を見に行ったり音楽を聴きに行ったり、ボードゲームをしたり、飲みに行ったり。その中でも私の中で新しかったのはハイキングであった。

元々私はあまり運動をしないタイプで、こちらにきてから心身の健康のためにジムに通い始めたものの、基本的には日々身体を動かすことはない。また研究分野にもよるだろうが、私の場合は作業の九割ほどがパソコンの前なので、朝大学に来て夕方帰るまで、下手したらコーヒーを淹れに立つ以外座りっぱなしということもザラである。

同僚も似たような生活をしているからか、ヨーロッパ人は一般にスポーティなせいか(そんな気もする)、インドアな私にもハイキングのお誘いが頻繁にあって、最初はとても億劫だったが、今では積極的に参加するようになった。

ハンガリーにはそこまで高い山がないので、本格的な装備も必要なく、友達とゆっくり話すために長い散歩に行くという感じである。自然の中にいると、いつも一緒にいる同僚の違う一面が見れたり、また普段学校で話しないようなことも議論できたりして、身体の健康以上に特別な一面があると思った。また、登った後の「達成感」みたいなものを手軽に感じれるのも精神的に良い気がする。

画像1

そんなわけで年末もブダペストに残っている後輩に車を出してもらってハンガリーの北の方へ行ったり、年明けはふらっとバスに乗って近くの山(日本人の感覚からすると丘かもしれない)に登りに行った。運動が苦手で嫌いという、死ぬまで変わらないと思っていた自分の特性も、環境次第で意外と柔軟なんだなと思った。