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ベルリンの落書き

昨年の夏は学会で初めてベルリンに行った。ドイツの首都にも関わらず、ベルリンの壁とかベルリンフィルとか、ベルリンに関係する単語が出てくるだけで、特にこれと言ったイメージはなかった。ただ、ヨーロッパの特に大きな国であるドイツの首都なので、都会には違いにないと予想していた。

実際にベルリンに着いてみると、見事にその予想は裏切られる。というのもベルリンと一言ではまとめられないほど多様化していて、たまたま私の滞在したところがNeukölln(ノイコルン)というヒッピーなエリアだったため、想像してた東京のような都会の場所とは違ったというだけのことである。

ノイコルンの宿に着いてから、さらに北に行くとKreuzberg(クロイツバーグ)というエリアに行って学会用のポスターを印刷し、ついでに散歩をしていたが、とにかく街中が汚いし雑多なもので溢れている。住んでいる人も様々な民族グループで構成されているようで、ドイツ人よりもなんだかトルコを中心とした中東系の人が多いような印象を受けた。

後にベルリンの人と話すと、例えば第一区のミッテなどに行けばわかりやすい綺麗な都会の景色が見れるようだ。しかしながら下町を中心に滞在した私としては、思っていたよりも混沌とした空気に包まれていることに驚いた。その雰囲気を作り出す中で特に印象的なのは落書きで、今住んでいるブダペストと比べても遥かにたくさんの落書きを見つけることができる。

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落書きと言っても大きく二種類あるようで、いわゆる匿名でのランダムな落書きと、あとは最近よくブダペストでも見られるアーティストによる「落書き」だ。上の写真だと、上部はアーティストによる作品だが、その下には誰かによる落書きで埋め尽くされて、二つのアートが鬩ぎ合っているような印象を受ける。

日本にいる間にも街中の落書きを見たことがあるが(例えば私は関西出身なのでアメリカ村など)、なんとなく違法というか取り締まられるもの印象で、あまりそこに書かれている主張などに目が行くことが無かった。落書きの中にはアートと言う観点で美しいと思うものもあったが、どことなくネガティブな印象を持っていた。

ベルリンの街並みに点在する落書きを見ていると、そこには生きた生身の人間の活動を感じる。必ずしも美しい落書きだけではない。そこには政治的な主張だったり、ただ意味のない言葉や形だったり、とにかく色んな表現が見られる。今でこそインターネットのおかげでInstagramなどを始めとしたグラフィックを使った表現方法が様々であるが、そういうものが無かった時代に、人々のこころに直接訴えかけるのはこういう落書きなのかもしれないと考えたりした。実際ベルリンでは1989年以前まで存在した東西を隔てる壁の西側に描かれたグラフィティ(落書き)が、表現という意味で歴史的に重要な役割を果たした。

落書きといえば、西洋では表現とアートと密接につながっており、「許可なく」公共の場に提示されているものと見做されているらしい。日本だとそういったものも落書きであるが、よくある落書きといえば教科書に載っている偉人の顔に髭を生やしたり、ノートの端に書き込まれた授業と関係のない絵だったり、どちらかと言うと外に発信すると言うよりはもっと内的なもののような気がする。落書き一つとっても、その行為に向かう態度が異なるように思えてやはり文化的な考察は面白い。

落書きの歴史なんかも面白そうだなぁと思ったが調べてみると思ったよりも歴史が長く深いようだ(英語のウィキペディア)。最近ではプログラムのソースコードにまで関係のないコメントが書かれていたりするらしく、環境の変化によって形を変えてまでも存在する落書きという行為に、無駄だからこそ人間の創造性みたいなものを感じてしまう。