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【掌編小説】 酒と涙とアタシ

泣くのが苦手だった。
赤ん坊の頃のことは知らない。記憶にない。
たぶん、きっと、その頃は泣いてたんだろう、人並みに。

そんな生存本能からの「泣く」ではなく、
哀しいとか、寂しいとか、感動したとか、
感情に紐付けられた「泣く」が、苦手だった。

仲の良い子が転校しちゃうとか、
失恋したとか、飼っていたペットが死んじゃったとか、
試合に負けたとか、先輩に酷く叱られたとか、
あとは卒業式や結婚式やお葬式などのセレモニー、
そんな時に人前で泣ける子たちが、不思議だった。

アタシは別に捻くれていたわけじゃなかったから、
こういう場面では涙ぐむべきなんだよねと思って、
ちょっと頑張ったりはしたんだ。

でも、そう簡単に涙なんて出やしない。
泣こうとしている自分がなんだか滑稽で、
どんどん冷静な気持ちになっていった。

歳をとると涙もろくなると言われているけれど、
本当だろうか?
行きつけの居酒屋で、常連客のダイサンに訊いてみた。
ダイサンは間も無く還暦だ。涙腺が脆くなってる年齢のはず。

ダイサンの答は「別に変わんねぇな」だった。
そして「歳のせいってより、酒のせいってのはあるけどな」と言った。

「酒が涙腺緩くさせるんだ?」
アタシが訊くと
「涙腺緩くするってより、タガを外す感じだわな」
そう言ってダイサンはアタシを指差し、
「あんたもしょっちゅう泣いてるだろ、ここで」
と言った。

「え? 泣いてる? アタシが?」
驚くアタシにダイサンは
「記憶飛ばしてるんか」
やれやれといった風に笑む。

アタシは泥酔したことがないと思ってたんだけど。
記憶を飛ばすほど酔ったことなんて、ないと思ってたんだけど。

どうやら醜態を晒していたらしい。
ダイサン曰く、単なる泣き上戸で無害、らしいが…

酔ってアタシは、苦手克服をしていたみたいだ。


#ほろ酔い文学

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