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歌詞の話


amazarashiの「雨男」という唄があります。
普段amazarashiは聴かないけれど、
この唄はとても好きです。

特に2番の歌詞が終始ぶっ刺さり続ける。
さらにその中でも、サビのひとことめ。

友達の約束を守らなきゃ
それだけが僕の死ねない理由

                     ー雨男/amazarashi

この一文を信じていた。信じていたかった。

心が潰れた土砂降りの日に、
縋るものはそれほど多くない。

本当に追い詰められた時、
姿や顔や声が思い出されるのは。

どんなに自分の存在が
くだらなく意味のないものに思えても、
週末に大切な友人との約束がありさえすれば、
それを守るために生きようと思えていた。
せめて約束を守る人間でありたいと。
もはやもっと単純に、
友人にまた会いたいというだけで。

外側に生きる理由を求める事が健全でないとしてもね。

しかし薬の効き目は長持ちしないもので、
服用し続ければだんだんと耐性が
ついてきてしまうんだな。
(耐性であってるかな、言葉として)
(人生って特効薬も必勝法もないのね)

約束のために生き延びたい私はいるものの、
それはそれとして、
自分のくだらなさに耐えられない私が最近では強い。

そう、近頃は四六時中、
私のことが大嫌いな自分の声が大きくて辛い。
そのほかの物事をかき消してしまうみたいに、
本当は私自身がすべてをかき消そうと望んでいるみたいに、ずーーっと私を否定し続けている。
間髪入れずね。まるで漫才のツッコミ。

気の置けなかった大切な友人にすら気を遣い始め、
何も考えずには一緒にいられなくなってしまった。
感情や人の気持ちなどのコントロールできない部分に対して考えあぐねてもなんの意味もないのに。
そこにもまた、相手に過剰に気を遣い続ける自分と、
それを非難する自分がいる。

FoZZtoneのGloriaという唄みたいに、
絶え間なく居座ってみんな好き放題だ。
私を許したい自分、
許されたい私、
否定し続ける自分、
それら全てを俯瞰で眺めている自分。
FoZZの歌詞はおもしろいなあ。

喜びと悲しみはかつて交代で僕を訪れた
朝と夜のように彼等 交代で僕を訪れた
どちらかが泥酔した時に交代のタイミングがズレて
それ以来一緒に来るんだ それ以来、日蝕で白夜

興奮と冷静はかつて交代で僕を訪れた
最近は住み着いちまって うちの中で泥酔してるんだ
あきらめや情熱達も居座ってゲームしてるんだ
誰一人眠らなくって僕はベランダで眠るんだ

ーGloria/FoZZtone


なんだか疲れている気がする。
何かを眺めてぼーっとしたい。
会議室は頭なのか心なのか分からないが、
とかくみんなを黙らせて静かな時間を過ごしたい。


Sam SmithのLove Me Moreという唄もあります。

Have you ever felt like being somebody else
Feeling like the mirror isn’t good for your health
Every day I’m trying not to hate myself
But lately it’s not hurting like it did before
Maybe I am learning how to love me more

ーLove Me More/Sam Smith

毎日少しずつ向き合い、少しずつ消化していく。
自分自身の愛し方を学んでいる道の途中。
そう思えたらなあ。

頭で考える速度はとんでもないものなので、
あえて書き起こす事で思考速度を制御して、
余計な分岐を生じさせる事なく冷静に頭の中を整理するのも良いと聞いた事があります。

考えすぎ、の一言で片付けるのは甘んじて受け入れるけど、考えすぎを止める方法まで面倒見てくれないかな。
無理か。


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