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人生はゲームだ 曖昧性は最高なんだ

会話形式のAI、ChatGPTで遊んでみた。質問すると、一文字ずつ文字が浮かび上がるのは、まるで人と話しているような気持ちだ。

ホームページなどで活用される質問のチャットbotはパンっといきなり答えが出てきて、機械的な表現だ。「機械のオペレーターと話しています」感が強く出る。

私が大学時代に関心を持ったのは、この人間らしさとは何か、という問いだった。
人が言葉を発する時に出る、言い淀み。ある種、機械の完璧な表現にはない言葉への突っかかりが人間らしさを表現しているのではないか、などと仮説を立てていた。

仕事をする上で、特に後輩に情報を伝える上で、私はこの人間と機械の狭間にいる。そして、その境界線はとても曖昧だ。わざと曖昧にしているとも言える。

先輩という名の役割は、大抵が後輩の指導や育成を任される。私自身も、先輩から学んできたことが多く、同じように伝えていきたいという想いが強くある。

しかし、最近の難しさはこの「口伝」という行為をすることが、本当に求められているのか、あるいは意味があるかわからないことだ。

私の時は〇〇だった。だから△△すべき。
と伝えても、伝える相手が生きる時代や状態は私の時代とは異なる。状況は刻一刻と変化するのだ。

先ほど遊んだという会話形式のAI、ChatGPT。知り合いの大学生は課題などもこのAIに任せると話していた。この最新のツールを使いこなす大学生に対して
「いや私の時代、〇〇先生へのレポートのポイントは〜だよ」と伝えても恐らく聞く耳は持たないだろう。逆の立場なら、私は無視しそうだ。笑

人に伝えるのは難しい。ましてや育成という観点で情報を伝えるのはなおさら困難である。

人に情報を伝える上で大事にしていることがある。
それは相手に期待をしない、ということだ。一見すると冷たく聞こえる。しかしこれは1つの術であり、人生を豊かにするツールでもある。

相手に期待しない、という言葉を言い換えるのであれば、自分を主語において考えないということだ。私にとっての常識が、相手にとっての常識とは限らない。情報伝達で一番多いミスは、相互に同じイメージを把握していると思い込むことだと私は感じている。

この思い込みこそが、相手への「この人なら理解してくれるだろう」という期待なのだ。だからこそ、期待はしない。あくまでも0ベースで捉える。

言葉で書くのは簡単だが、この0ベース思考は習得するまでに時間がかかる。なぜなら「自分自身を疑う」という行為を自分で行わなくてはいけないからだ。

この言葉は、この考え方は、この思考プロセスは自分にしか分からないことなのではないか?そんなふうに自問自答を続ける。

しかも厄介なのは、身近な人にほど、この0ベース思考を活用することができなくなる。理由は簡単。相手が私のことを理解しているはず、と思い込みやすいからだ。

家族でも、親しい友達でも完璧に相手のことを把握するのは難しい。
自分の感情ですら、客観的に捉えることは難しい。

相手に期待しない、という行為は鍛錬しなくては得られない技なのだ。
ただ、この曖昧性が時には、予想を超える創造性を発揮することもある。

目指すゴールは何となく同じで、その手法において異なるものと異なるものがぶつかった時、新しい可能性を見出すこともできる。ChatGPTにはできない、人間が成す技だろう。

ニュアンスを掴むことができる私たちは、良いようにも悪いようにも大きな変数として、人生というゲームをさらに面白くさせる。

と、カッコつけて
相手のことを理解できない、難しさや腹立たしさを消化させる、そんな日でした。



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