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未知なる可能性に溢れた旅の醍醐味って?

10歳にして生まれて初めての海外旅行に、たった一人で送り込まれ、しかも「先住民の方々とテント生活を送る」という衝撃的な海外デビューを果たした訳ですが、それから先も多くの体験をさせてもらいました。

それは13歳の夏休みのこと。
母は高校2年生の姉と私を連れ、ヨーロッパ横断旅行へと繰り出したのです。

当時はまだEUやシェンゲン協定が結ばれていない時代。女性が子供二人を連れての旅、ましてやヨーロッパを横断するなど到底あり得ない話です。

先生に許可を取り、夏休みのプールをおやすみし、そしてほんの少し余計に夏休みを長くして、北はコペンハーゲンから南はギリシャまで約50日間の旅へと連れて行かれました。

前回お話ししたように、私の家は、留学生をたくさん受け入れていました。
母は留学生を通じて文通という手段で、その家族と交友関係を深めていて、ところどころはその友人の家にお世話になりながらの旅だったのです。

とは言いながら、知り合いのいない町では行き当たりばったりでホテルを決めるというもの。しかも全て列車の旅だったので、荷物を抱えて移動というものです。

よくよく考えても、今ですら普通はしないような経験だと思います。
なんたって携帯電話だって無いわけないですから。

まだ冷戦時代のはずですが、旧ソビエトの航空会社を利用してモスクワ経由。
乗り物酔いしやすい私は、その飛行機(アエロフロート)の匂いにやられ、気持ち悪くなり散々な空の旅。

ようやくコペンハーゲンの上空に着いた時、窓から眺めた北欧のレンガ色の景色が驚くほど綺麗だったこと。

レゴランドに連れて行ってもらい、その遊園地のような内装に大喜びだったこと。

知り合いのいないパリについたとき、まずはインフォメーションセンターでホテルを探し、ギギギ〜と扉を手で開けるエレベーターに、びっくりしたこと。

パリの公園でジプシーの子供に取り囲まれ、怖かったこと。

南仏の町・コニャックは町全体がお酒の香りだったこと。

ベルサイユ宮殿は、それはそれは広大で今にもオスカルが出てきそうだったこと。

ポンペイに行く列車が、なぜか途中で止まり、そのまま動かなくて大変だったこと。

イタリア語しか通じないローマのお店で、母がなんとか頼んだパスタがアイスクリームでできていたこと。

アテネの町の道は大理石で出来ていてツルツルで滑りやすかったこと。

エーゲ海は、どこまでの深いブルーで水はとても冷たかったこと。

思い出を語り出したら止まらないほど、多くの経験や体験をさせてもらいました。

その母は、だいぶ前に旅立ってしまい、私が今いろんな冒険にチャレンジしていることを知りません。
生きていたら、どう思い何を語ってくれるのだろうか…
その答えは、私が同じ世界へ旅立ったときに聞けることでしょう。

現代社会は情報しかり、物しかり、何もかもが溢れかえってます。
知りたいことがあればネットで検索できるし、世界中いつでも誰とでも繋がれ、無料で会話もできるし、翻訳機があれば話も通じます。

しかしそれって良いことなのでしょうか?

私は疑問です。

なかなか会えない人といろんな不便を乗り越えてようやく会える、とか。
道に迷ったら現地の人に尋ねてみる。すると思いほか、別の情報をいただけたりする、とか。

それこそが未知なる可能性に溢れた旅の醍醐味と言えるのではないでしょうか?

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