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これが都内?〜自然豊かな等々力渓谷、地元ネタ満載

ミーンミンミンミンミン!
「うるさいなぁ、もう。
こんな中、よく寝てられるよね??」
と、泊まりにきた友達に、よくそう言われたもんです。

夏の大合唱の代名詞ともいえる「ミンミンゼミ」
その溢れんばかりの唄声に育てられたのが、私の幼少期です。

さて私の生まれ育ちは、東京都世田谷区の等々力とどろきという町。
「世田谷に住んでます〜」と言うと、「まぁ山手のお嬢さんなんですね」なぁんて言われたもんですが、いやいや、そんな訳ありません。

金沢から出てきた祖父が住んでいたのは、東京の目黒。
「俺は宵越しの金は持たねえ、酒、女はいくらでもやるが博打はやらねえよ」という、一代で会社を築いた「ザ・日本の男」という感じの祖父でした。

その祖父にはお妾さんがいて、その女性を住まわせていたのが等々力だったのです。
時は流れ、第二次世界大戦という世界中を悲劇に巻き込んだ戦争がありました。目黒の家を焼かれた祖父は、お妾さんを他に移し、本妻(祖母)ともども等々力に家を移したというわけです。

ちなみに昭和の初め頃は等々力といえば「お妾通り」と言われたほどだったそうで、そこに嫁いできた母は「色々言われるから嫌なのよねえ」と愚痴っていました。

前置きが長くなりました。
ここからが本題です。



等々力渓谷は、武蔵野台地の南端に位置しています。
矢沢川やざわがわが浸食し、延長約1 kmに渡ってできた、東京23区内唯一の渓谷です。

下に流れるのが矢沢川、多摩川に向かって流れています

東急大井町線・等々力駅から約3分ほど歩くと矢沢川にかかる「ゴルフ橋」があり、その脇の階段を降りると、この風景が広がっています。

見出しの画像が散策路から振り返って撮った、赤く塗られた「ゴルフ橋」。
昭和の初め頃まで、この辺りにゴルフ場があったことが名前の由来です。今はすっかり住宅地ですが…

植生はというと、自然植生と考えられていて、ケヤキ、ムクノキ、シラカシにコナラが多く分布しています。
湧き水がとっても豊富!
私の家は、渓谷の上の台地(際っきわ←だからミンミンゼミがうるさかった)にあったのですが、子供の頃は井戸水がありました。

湧き水が溜まる場所にはセキショウの群生も

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渓谷に沿って散策路を歩いていくと、南の端には「日本書院・庭園」があります。
昭和36年に建築された書院や、48年に著名な造園家によって作られた庭園は、当時のまま残され、地元の方々の憩いの場所にもなっています。

庭園の入り口から趣きが感じられます


一歩入ると見事な竹林!


ちょっとした広場もあるので、散策途中に、ほっとひと息
左奥が書院


渓谷を挟んで、反対側の台地には桜で有名な「等々力不動尊」がありますが、私的には桜の季節より秋の紅葉がオススメ!

不動尊の公園


公園から不動尊を見上げた図

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さて、等々力という名前の由来についてですが。
等々力不動尊から渓谷に降りたところに、「不動の滝」があります。
今ではあまり見かけませんが、子供の頃は、滝に打たれぎょうをする人をよく見かけていました。
その滝の轟くとどろく音が「とどろき」になったとか。

ほんとうかなぁ??

だってですね、
ジャン!これがその滝の姿です。

まぁ確かに昔はもっと水量が多かったと記憶していますが(苦笑)。

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実はこの辺り、古墳が多くてですね。
渓谷のすぐ近くには「野毛大塚古墳(東京都指定史跡)」があります。その名残かわかりませんが、渓谷の東側崖には「等々力渓谷三号横穴」として、古墳時代末期から奈良時代にかけて構築された横穴墓もあります。

昭和48年に発見された当時、人骨や埋葬品も多く出土されたそうです。

裏ネタですが…
ご近所さん、古墳の一つを所有していて管理が大変な上、税金はしっかり取られるので、ほとほと嫌になり、世田谷区に買い取ってもらったそうです。

野毛公園の中にある、野毛大塚古墳
子供の頃は肝試しをしたり、スキーでも滑ったことがあります(笑)


今月の初め、しばらくぶりに等々力渓谷へ行ってきました。
離れているからこそわかる、生まれ故郷の良さとでもいうのでしょうか…
しみじみと昔を思い出し、書かせていただきました。

そうそう、夏には駅付近との気温が4度もあるそうです。
涼を求めに、ぜひお出かけください。
その際は防蚊対策をお忘れなく〜




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