校長室に呼び出されていた僕が、校長先生になるまで
こんにちは!
「遊びで人は育つ」を信念に、子ども達と毎日遊んでいる遊太郎です!
僕は東大ママの民間学童で約3年務めた後、21歳で独立し「失敗に強い子を育む」をコンセプトに子ども達が『"今"を本気で遊び・学び・成長する居場所』を作る【アソプロ】という活動の代表をしています。
最近、「遊太郎はどんな子どもだったの?」とよく聞かれるので、僕が恥ずかし過ぎて隠していた過去も含めて曝け出しながら回答しようと思います。
学校一番の悪童、反抗期、成績トップからビリ、受験不合格…など暗黒時代から、教育にハマって「人柄と人生が激変」した話。
校長室に呼び出されまくっていた僕が校長先生を務め、学校と先生が大嫌いで「学年一番の問題児」だった僕が小学校で講演会をさせてもらえるようになった話です。
今、自己否定している人が「人って変われるんだ」と感じられたり、「うちの子、心配…」と感じてる親御さんが少しでも安心できたり、子育ての力みを緩めれたり。
『子育てにおいて、子どもにとって最も大切なモノ』が伝わることを願って、このnoteを書くことにしました。
今の自分
今、僕は毎日「子ども達と遊ぶ仕事」をしてる。
子どもが本気で遊べる居場所を作る活動の代表をしたり、バスケスクールや400組以上が参加する子育てコミュニティを運営したり。遊び場を0から子ども達と一緒に創るプロジェクトに携わらせてもらったりもしてる。
昨年、僕はママチャリで日本一周をした。この旅の中で400人以上の人達と出会い、たくさんの人に助けられて完走。個人で立ち上げたクラファンでは2,000,000円以上のご支援を頂いた。小学校で講演会もさせて頂いた。
この夏には、子ども達との「無人島サバイバル合宿」を開催した。たくさんの子どもや大人が来てくれた。他にも総勢800名以上を超える場で「校長先生」を務めさせて頂いた。
自分で言うのは恐縮(というか、キモいのは承知の上)だけど、完全に流れがきている。お誘いやコラボの依頼などのチャンスも含めて、ありがたいことに"校長先生絶好調"だ。
また、教育という分野なのもあってか、最近は過剰なまでに「素晴らしい人」かのように扱われることが多い。特に親御さんから思われてることが多い。
「どんな子どもだったんですか?」「どうしたら子どもが遊太郎さんみたいになれますか?」「反抗期はありました?」「怒ったことあります?」
このニュアンスの質問は、親御さん達からよく聞かれる質問トップ10に入ってくる。
今回はそれらの質問に対して、何も包み隠さずアンサーしようと思う。自分の原点に立ち返るためにも、記しておきたいと思う。
これまで隠していた僕が学生だった頃のクソガキ時代。
「クソガキ」なんて、まだ可愛い表現で、本当に僕は、文字通り「悪魔」のような子どもだった。
そんな恥ずかしい過去を赤裸々に書いた。
この記事を書くのはとても恐かった。
僕にとってすごく勇気が必要だった。
身近にいる人たちであればあるほど、ドン引きされて、離れていってしまうのではないかと思っていたから。
「嫌いにならないと約束してくれる人にだけ読んで欲しい」と願うほどに壮絶な過去。
きっと皆さんが想像している真逆の子どもであることは間違いない…
早すぎる優等生からの転落
前提としていくつか伝えておくことがある。
親は離婚してる。たぶん3歳くらいの時で父親が一緒に住んでる記憶は一切ない。おじいちゃんおばあちゃんと一緒に住んでる。そして僕は双子の兄弟がいる。
さて、僕は5歳頃までの記憶がほとんどない。保育園での思い出は、料理の時間の時になぜか包丁を握って、両親指から血が出たこと。
レゴブロックの斧を振り回していたら持ち手が壊れて、斧部分が飛んでいき、横にいた友達の頭に直撃したこと。あとは3歳頃に、顔も名前も覚えていない誰かさん(同い年の男の子)に噛まれたことくらい。
そんな平和な保育園時代を経て、小学校に入学。
超優秀だった小学1,2年生。運動も勉強もできて、成績はトップ。先生が話し始めたら「みんな体育座りして!」と叫ぶ、クラスで鬱陶しがられるような優等生タイプだった。それも双子揃って。(鬱陶しさ×2)
しかし、小学3年生から見事に転落する。というか、今思えば小学1,2年生が人生ピークだった。ここからは転落し続ける一方だから。
小学3年生の頃から僕は、校長室に何度も呼ばれるようになる。小学校40人の同級生の中で浮きまくっていた。そう、またもや双子ふたり揃って。
(親と先生の負担×2)
ここから「問題児」というレッテルを貼られ続ける人生が始まった。
親を悲しませ、泣かせ続ける人生の暗黒期が始まった…
先生は大嫌い、親は敵だ。
小学3年生のある日、僕が友達に怪我を負わせてしまい、親が学校に呼び出された。面談で先生に怒られている時「ぼくは悪くない。これは故意ではなく事故だった。」と伝えた。
しかし、その意見は先生に聞き入れてはもらえなかった。親も頭を下げるばかりで、「いいから謝りなさい」と言ってきた。
「誰も俺の気持ちはわかってくれない。」と感じた。
それからも何か問題が起こったり、先生に自分の意見を言うたびに、彼らは「言い訳するな」「それは屁理屈だ」と決めつけてくる。その場にいて見たわけでもなかったりする奴らが。
それらの積み重ねで、次第に僕は、
「大人は全員、敵だ」と思うようになった。
そして僕は親の話も聞かなくなり、なにかあればすぐに先生に噛みつきまくるようになった。もちろん敵視して攻撃すればするほど、敵(先生)の攻撃も強くなっていくのは言うまでもない。
小学校の時に入っていた野球クラブでは、コーチに反抗しすぎてチームから追放されかけた。
中学校に入ると、さらに尖った。双子兄弟で不良グループの特攻隊として、率先して悪さばかりする日々。友達の家や先輩の車を転々として、1週間くらい自分の家に帰らない時期もあった。
具体的なことは書けないようなもことだらけなので割愛するが、他校にも噂が広がり、学校の先生どころか地域の人からも腫れ物扱い。
地域のすべての中学校が参加する合唱コンクールでは、僕らの中学校だけが2階席(本来は毎年すべての中学校が1階席)だった。
これは大人になってから聞いた話だが、母親は知らない人(近所のおばさん)が「ほらほら、あの悪い双子よ。」と言っていた現場を目撃したことがあるらしい…
もはや先生たちは僕らとできるだけ関わらないようするようになり、学校で怒られなくなった。僕らはそれを勝ちだと勘違いした。図に乗ってさらに悪さは加速する。
「謝罪」「反省」という2文字は、当時の僕らの辞書にはなかった。それほどにアホでクズだった。
今振り返ると、あの頃の自分は人間として完全に終わっていたと自覚してる。もはや「人間ではなく悪魔」だったと…
高校で革命が起こる
高校に入学してからも、先生は全員大嫌いだった。
怒られることも多々あって、もちろん浮いていた。これまでずっと同じだった双子の兄弟は別の学校だったが、出会いに恵まれた。
一緒に遊ぶ友達、面倒を見てくれたバスケ部の先輩たちが優しさかった。高校の時に関わる人たちは、とにかく優しかったと、今でも思う。
ある日の高校バスケ部の遠征中にて、憧れていた先輩と道を歩いていたら、知らない人が前を見ていなくて肩がぶつかった。完全にぶつかった相手の不注意で、どう考えても向こうが悪い状況。
速攻で「ふざけんな!」と言うのが僕ら中学グループでは常識だったが、その先輩はすぐさま「すみません!」と頭を下げた…
その瞬間、僕の中で革命が起こった。
「優しいって、かっけぇ!」
と僕は心から感じた。なぜか。
これまで僕は「イラっとしたら突っかかること」がカッコいいと思っていた。というか、それがあたりまえのルールだったし、それこそが正義とされる環境で中学時代は生きてきた。
しかし、この出来事があってから、単純王の僕は「イラッとしても笑顔で謝ること」こそがカッコいい。どんなことも許せる寛容さを持った人こそ、真の男だと思った。
僕の人生最大ターニングポイントの出来事と言っても良い。これが自分史に残る『優しさ革命』が起きた日だ!
この日をきっかけに、僕はカッコいい男になりたい!=モテたい!という動機で、優しくなろうと努力する日々が始まった。
(今、思うとあまりに単純すぎる…)
大学受験全落ち
バスケに明け暮れ、成績は学年ビリを競いながら、あっという間に部活を引退。そして大学受験を迎えるのだが…
なんと、しっかり全落ち。
滑り止めにと思って受けたところから偏差値の高い大学まで、美しいまでに全て不合格。僕の通っていた高校は自称進学校で、受験を推奨していたから、友達も含めて生徒の8割以上が大学進学していたこともあり…
僕は青ざめた。「人生終わった」と思った。
しかし、僕の周りの人たちは口を揃えて「あんだけ彼女と遊んで勉強してなかったら、そりゃあそうなるだろ」と。
「優しさ」を獲得するために自分なりに鍛錬していたが、人はそう簡単に優しくなれはしない。ましてや優秀になるなんて夢のまた夢。これが現実。
受験全不合格をきっかけに、僕は初めて自分の将来のことを真面目に考えた。自分を見つめ直した結果、勉強が嫌いなので浪人はせず、興味が湧いたプログラミングの専門学校へ行った。
専門学校でプログラミングに、どハマり。先生の授業を全て無視して、一人で教科書を進めていた。友達にお昼ご飯を誘われてもいつも断り、図書室で自習していたおかげで開始3ヶ月で辞書のような教科書の半分以上が終わっていた。
「学ぶって面白い!」
高校での「優しさ革命」に続く、「学び革命」だ!
独学の方が早いし、お金がもったいないのでとりあえず休学(後に中退)。すると、プログラミングが手につかなくなる程の「謎の趣味」にハマってしまった。
それは、Twitterで面白そうな大人(=社会の先輩たち)にDMして、会いに行きまくっては、「人生で大切なことは?カッコいい男になるためには?」などを聞きまくるという趣味だ。
19 歳だったから会ってもらえていたと思うが、かれこれ100人以上の方々と会った。この趣味を通じて「この世の中には人生を主体的に楽しんでいる人と、そうじゃない人の2タイプの人間がいるんだなぁ〜」ということを肌で感じた。
その時にふと、湧いてきた問い。
このシンプルな疑問。そこに対する純粋で強烈な興味が、僕が「教育」に没頭するきっかけだった。
それから子育て本を読み漁り、教育のイベントに参加しまくるという生活をした後に、民間学童で子ども達と遊ぶ担当として働き始めた。
東大ママの民間学童で約3年間、教室長補佐(ほぼ副代表的なポジション)を務めた。その経験を経て、21歳で独立。
今は「失敗に強い子を育む」をコンセプトに、子ども達が『"今"を本気で遊び・学び・自律する居場所』を作る活動【アソプロ】の代表をしている。
昨年はママチャリで日本一周。旅の中で400人以上の人達と出会い、たくさんの人に助けられながら完走。個人で立ち上げたクラウドファンディングでは2,000,000円以上のご支援を頂いた。小学校で講演もさせて頂いた。
この夏には、子ども達との「無人島サバイバル合宿」を開催した。たくさんの子や大人が来てくれた。他にも、総勢800名以上を超える場で「校長先生」を務めさせて頂けるようになった。
「子ども達と遊ぶこと」が趣味から仕事になり、それだけで生きていけるようになっている。
「遊びで人は育つ」という信念や自分の想いをドンドン実現していけているようになってきている。
今、僕はとても幸せだ。
なぜ僕は今、幸せに生きれてるのだろう?
先生に叱られまくり、校長室に呼び出されまくった小学3年。学校どころか地域から腫れ物扱いをされ、ついに先生が呆れて怒ってさえくれなくなった中学2年。大学受験で全落ちした高校3年。
「エリート」とは程遠い、というか「問題児」レッテルを貼り続けられた子ども時代。失敗だらけの学生時代…
それらを経て僕は今、子ども達にとって「何かを教える先生」ではなく、『共に人生を楽しむ仲間』で在りたいと思っている。
紹介した通り僕は特別な才能も自慢できる成果もない。むしろ今のところ失敗ばかりの人生。ほぼ間違いなく凡人。どちらかといえば無能。無知で未熟。そしてアホだ。
でも、僕はめっちゃ幸せだ。
死ぬほどハッピーマンだという自負がある。
なぜだろう?
その問いを自問すると、いつも一つの結論に至る。
「人に恵まれているから」
自分の力ではなく、周りの人のおかげ。
これはきっと間違いない。
小学校の時に、ずっと遊んでくれて、色んなことを教えてくれた姉貴のような人。可愛がってくれた小学校の野球チームの先輩達。
バスケの楽しさを教えてくれた、中学の時のバスケのコーチ。地域バスケのおっさん達。夜な夜な中坊の戯言に付き合ってくれた塾長。優しさを教えてくれた高校の先輩達。
今、教育関係や仕事で、いつもお世話になってる社会の先輩方。いつも子どもと一緒に遊ばせてくれる親御さん方。
そして、友達。
地元のやつら。同じ学校のやつら。もちろんそれ以外に、偶然の出会いで繋がった同世代の友人たちも。
そして、家族。
口うるさいおばあちゃん。人形くらい無口なおじいちゃん。遊びを教えてくれたおじちゃん。長期休暇で50時間ゲームして24時間寝る父親。天然で元気だけが取り柄の母親。(←これは怒られる)
そして顔がそっくりなマッチョで、人でなしの双子兄弟。これまでずっと一緒にバカをして怒られてきた。一緒に遊び、笑い続けてきた相方。
僕はここに書いたみんなが大好きだ。
みんなと共に「人生を楽しみたい」と思う。
その大好きな人達が、その時々で、僕の
「ありのままの存在」を認めてくれていた。
弱みや失敗さえも笑って面白がってくれている。
だから、僕は幸せだ。
だから、僕は失敗を乗り越えられた。
全力で挑戦できるし人生を楽しめる。
何ができるとかできないとかは一切関係なく。
僕は子ども達にとって、そんな存在でありたい。
何があっても、「コイツだけは自分ことを分かってくれる」と思わせられる存在でありたい。
ふとした時に、「アイツと人生を楽しみたい」と思ってもらえる存在でありたい。
目の前の子が、「自分には価値がある!」「自分には可能性がある!」と感じさせられる存在でありたい。
それさえできれば、彼らは強く生きていけると思うから。彼らは失敗から学んでいけると思うから。どんな困難も乗り越えていけると思うから。彼らがありのままで人生を楽しめる思うから。
だから僕は、「子ども達一人ひとりの可能性を、心から信じる存在」でありたい。
そして、子ども達を信じて待つ、見守る。好き、やりたいを徹底的に応援する。挑戦する背中を押してやる。とんでもない失敗も笑ってやる。何があっても俺は絶対に見方だ。
そういう存在であり続けたい。
出会った子ども達のありのままを愛す。
子ども達の存在自体を丸ごと肯定する。
って本気で伝えられる人でありたい。
自分がそうされてきたように。
だから僕は、子どもの居場所を作る活動を続ける。
だから僕は、今も毎日子ども達と遊び続けてる。
だからこそ僕は、「アソプロ」をやってるんだ。
僕は彼らにとって一生の友達でありたい。
「共に人生を楽しむ仲間」であり続けたい。
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