見出し画像

自分の感情の主になれ

自分の感情の主になれ

  • あなたは、寛容さを養うためにはアンガーマネジメントが必要であり、自分がどのようなときになぜ怒るのか、それについてどのようにコントロールすればいいのかといったようなことを勉強したり、管理しようとしていますか?
    ⇒自分の感情をことばにしてみること。

人は往々にして感情に支配される。
批判、クレーム、誹謗、中傷、いじめ、パワハラ、マタハラ等々。

怒り、嫉妬、悲しみ、つらさなどの感情に支配される。

その際は自分と感情を切り離すことが重要ともいわれている。

喜怒哀楽。

喜びや楽しみは感情の一定程度まかせてよいが、

怒りや嫉妬などの感情に支配されると、あともどりができないこともある。

一度冷静になって自分の感情をことばにしてみる。
私はいま怒っている。

嫉妬している。

それをするだけで自分を俯瞰してみることができる。

自分の肉体からいったん離れて宇宙から自分をみてみること。

自然に前にしたら自分の存在や感情などもちっぽけなものにもなる。

大地震や疫病や火山、台風を前にすれば、人間の力はちっぽけだとわかる。
どうしようもない事実がそこにあるということでもある。

長い歴史の中で自分の存在などだれも覚えていないような風化した存在にもなる。
自分が大事をなしとけたとしても歴史からみればそれは風化していまう。

ライト兄弟、エジソン、アインシュタインも名を残しているが、ときどきわれわれが名前を聞くだけの存在でもある。

人間のできることはちっぽけでもある。

あるいは、自分の感情をメモにしてもよい。
自分の怒りや悲しみ、しっとをメモに書き出してみる。

そうすることで自然と感情と体が切り離されていく。

ラブレターというものがあるがあれも自分の中にあふれる好きと言う気持ちが体にとどめていられずに紙に書き出す行為でもある。

SNSでもしかり、日本人は自分の感情を表現しないで世間体をとりつくろう文化や遺伝子がある。

だからその感情をSNSで裏アカウントで表現することもしている。

陰気な国民ともいわれるかもしれないが、国の風習でもある。

  • あなたは、怒りというのは強い防衛本能の一種であり、防衛本能が働かないようにある程度リソースに余裕を持たせて余裕を持つことが重要であるということを理解していますか?
    ⇒理解していません。

怒りは自分をみとめて欲しい、自分を理解して欲しい、自分のいうことを聞いてほしい。という表現ともいえる。

言葉では解決しない、解決できないことが怒りとして表現される。

怒りの表現の1つが、暴力や戦争だったりもする。政治の表現が死刑や刑罰などでもある。

解決の方法が裁判だったり、示談、制裁にもなる。

怒りのほったんがトラブルの場合が多い。

領土問題、浮気、詐欺、不良品。

自分の思いいかせるために、力に頼ろうとすることでもある。

力がないものはしかるべき場所や人にいう。

逆ギレという言葉もあるように、

そもそも道理が通らないことで怒っている場合もある。
テロリストやモンスターペアレンツ、カスハラでもあることがわかる。

理不尽に怒りにたより表現することもある。

赤ちゃんは無敵でもある。

泣くという表現を使って大人を自分のとりこにする。

赤ちゃんはなくことで自分の存在を表現している。

おなかがすいた、おむつを替えたい。寂しい、悲しい、欲しい。

赤ちゃんが泣けば大人は近寄ってあやすことが多い。

あるいは戦争時であれば殺されてしまうこともあったが、
平和な場所では、そんなことも少ないが。

と言う意味では怒りは大人が赤ちゃんに戻ることでもあるかもしれない。

自分のいうことを聞く。自分を認めてもらう手段の1つともいえる。

  • あなたは、一つの道の中に関係性や問題解決が入り込んでしまうと、ついつい行き詰まって怒りが湧いてしまうため、なるべく複数の選択肢を用意しておくようにしていますか?
    ⇒していません。

骨を切らせて肉を断つということばあるように
あるていど相手のやりたいようにやらせてあげること。

同じ土俵に立たないことが重要でもある。

怒りの矛先は覆おうにして、対人が多い。

怒りの矛先が自然や物の場合は少ない。

タンスの角に脚の小指をぶつけたことはあるだろうか。

とても痛い。たかが脚の小指にあっただけで悲しいくらい痛い。

その痛いは自分がタンスにぶつかったからでもある。

もしそれが他人から受けたらどうか。
他人に怒りがむくだろう。

出る感情は悲しいではなく怒りになるだろう。

気づいた人はいるかもしれないが、感情は自分が勝手に出しているものだということがわかる。

感情は自分勝手に引き出している。
感情は道具でもある。

好きなときに好きなように引き出している。
自分の無意識が喜怒哀楽を自由に引き出している。

同じ景色をみても怒る人もいれば笑う人もいるということ。

怒っている自分がそこにあれば、それは自分が勝手に怒っているということ。

その環境を感情を引き出してあいてに表現していることでもある。

お笑い芸人は知人のお笑い芸人の葬式で、泣くことはしない。

笑うことをするという。

https://www.sanspo.com/article/20240130-4BHUV5KCP5IZ3MP67RDT6WJHHE/

笑いに命をかけた人生で自分の命さえも笑いにかえる。
それが故人を尊重するという考え方でもある。

死んだ姿で泣いてはいままでの人生はなにということで理解されるかもしれない。

○不動産トラブルで、
怒っている自分は、自分が勝手に怒っている。

○戦争で最愛の人は自分が勝手に泣いている

○大量の税金請求があって悩んでいるのは自分が勝手になやんでいる。

あるひとは税金をよろこんで払う、社会への貢献と解釈してよろこんで払うという。
それが喜びの道具を自分が勝手にだすということでもある。

嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え
https://amzn.to/4dBidgH

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?