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【音楽のまとめ】


年末は、プライベートでDJイベントをやったりライブを観に行ったり、飲みに行ったりした中で、友人達との間で色々な事を話してて思う事があった上で、改めてこの月記の意味合いを再考してみたのだが、

昨今では年末になると「年間ベストアルバム」が大量にTwitter上に挙がってきて、
毎年、歳の初めから3月頃まではそれを必死に追っかける傾向がある。

今年特に目立ったのが、有名音楽サイトや著名人の投稿などではなく、Twitter個人アカウントが選出した「2021年ベスト」投稿が大量にタイムラインにお目見えして、その選出の傾向と偏りなどを見ると、例えば、アルバムを選出した理由や説明も無く、簡易的な「記録」と「共有」の為に、限られたTwitter文字数と、文字数が制限された事でのスタイリッシュさを持って投げっ放しに表現され打ち込まれている様に思える。まあ、いい意味で責任感がない。それだけコロナ禍における「1人の時間」を象徴している様に感じるし、そこからくる「表現の欲求」というストレスの発散をしているのだと感じるが、大半の人の選出のソースが有名音楽サイト「ピッチフォーク」の年間ベストからの抜粋に留まっている様に見え、中には大半の表現とは異なって「2021年に聴いて印象的だったアルバム」という「2021年作品に縛られない」というテーマを持ってTwitterへ書き込んでいる人、同じ様に選出したアルバムに評を付けている人、などには個性を感じつつも「オルタナティブメディア」としてジャンル幅の広い「ピッチフォーク」サイトへの信頼が厚いという傾向なんだなあ、と肌で感じている。

今年はDJイベントに参加したり企画したり、車での旅行もあったが、やはりそこで鳴らされている音楽を掘って拾ってくる「ソース先」が何処の場所からか分からない様な選曲をする人達が本当に面白いなー、と感じた一年でもあった。
DJにも様々な人がいるとは思うが、自分が現場に行って観たり聴いたりするDJは俺の知っている様な曲をかけたりしないし、
なので「その金塊どこから掘ってきたんですか?」と聞きたくなる。
そしてそれを直接当人と会話してみると、そのストーリーがまた面白い。
音楽におけるコミュニケーションの大事さを再確認した一年であった。

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しかし、いざ自分が自分のフォロアーにその音楽をオススメしたとて、一体何が影響として広がって何が消費されていくのか、という「無駄」を毎回感じてしまう。
そうなると、なんで「自分が好きな音楽」をわざわざ共有しなきゃいけないんですか?
となる。そもそも上記の様に、何処から掘ってきたのか分からない様な音楽を聴き続けている人というのは、しっかりと目標を立てて音を探す旅をしている様に感じる。しかもその旅は1人で黙々と遂行しては戻ってくる探検家の様でもある。

自分の好きな音楽が他人と同じではない!
という大前提の上で、厚かましい一方的なTwitterなどで主張を晒してはハイエナの様に食い荒らされるだけで、その投稿への評価や信頼がついてくるのか?という矛盾や切なさを感じてしまうのだ。どいつもこいつも俺自身も他人の書き込みを評価しては見下している様に思ってしまう。
近代における命題である。
要は無償でボランティアの様に文章を書き込み情報を提供し共有し発信した先でのフィードバック(影響)や派生が対価として欲しいのである。
それが無いから文字数が制限された中で主張は簡易的になり、表現が薄くなっていく傾向にあるのだろう。

皆んなが薦めるから聴こう、ではなく、
誰も薦めてないから聴く、のである。

その差別化が必要だと感じている次第。

なのでコレを機にnoteは有料化にしたら全て解決に向かうのでは無いか、と思っているので2022年からはもっと音楽や映画中心の書き込みとテーマ性を実験と実践をしてみようと思う。



○ 基本ルール
 ・月額ストリーミング系ではなくbandcampかYOUTUBEが主体
 ・2021年リリースに限らず掲載、とはいえど温故知新的な
  再発見系音源は排除






  -    【2021ベストアルバム】    -  




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┗ BIGlBRAVE
  "Vital"

  (2021/04  - southern lord)


アメリカの北東部にあるケベック州モントリオール出身のベースレススリーピースバンドの3rd?
ポストハードコアのビッグレーベルであるサザンロードから今年4月にリリースされYouTubeのAIによって姿を現した。
それだけこのレーベルの音を追いかけていた、という事なのか。
2021年の間に、日本にも来日した経験のある重量級ツーピーストランスバンドthe bodyとのコラボ作品や、ボーカルギターのロビンはsunn o)))でお馴染みのグレッグアンダーソンとの新たなプロジェクトthe lordに参加し、既にシーンのディーヴァと化した様な印象さえ受けていて、ここ2021年だけでこれだけの動きがあったのが観てて面白かった。
その刺激的な派生や交流が年間通して自分の中で経過で感じ取れた割には、何故かTwitterで見る様なベスト選出には上がってこなかったのが不思議なぐらいにアルバムの内容は素晴らしく、
並べられただけのストーリーも無い曲を聴く、と言うよりは、アルバムの流れがしっかり作られていてノイジーでアンビエントでスピリチュアルな雰囲気がuzedaがsunn o)))に影響を受けて楽器を一新して造った様な音で、昨今のスリルジョッキーのスタイリッシュなエクストリームなどへも通じる今までにない世界観で素晴らしかった。
簡潔さや分かりやすい例として引き合いに出すのがカッコ悪さすらあるが、ビョーク的な伸びやかでオペラちっくな歌声からは魂と祈りの様な神秘性とカリスマ性が伝わってくる。ストーナーというよりスラッジコアのスピードで大振りに点を合わせる気持ちよさに、ベースレス編成のスッキリさとスタイリッシュさ、何よりコードオレンジ辺りから現場でも使用される様になったギターエフェクターの効果的な使い方が、アルバム通してもロックバンドの基本である「ギターリフ」をほぼ排除したバンドのコンセプト、なのに無駄な時間が無く最後まで一気に聴けるし、そういったバンドのコンセプト(非常に簡潔に金をかけないながらも何かしらのメッセージ性を感じるPVも秀逸)からも2021年としての回答が明確に感じ取れたアルバム。
数々のコラボへの参加が示す通り、今後の活動に期待大。
もちろんまだ未聴の過去作品も追っていきます。




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┗ Chippy Nonstop & dj genderfluid
  ”Chippy Nonstop & dj genderfluid"

   (2021/05 -WET TRAX)


詳細が分からないので謎な部分が多いが、
アルバムの2曲目ぐらいで音を止め、
素性が気になり検索をして英訳を紐解いて行くと、どうやらこの方ドバイ生まれらしく、
このアルバムのジャケットでも顕著な容姿が、インド系やアラブ系の血か南米のチカーノ辺りの血が入ってそうな顔立ちが印象的で、活動初期だと思われる2013年頃のPVで確認出来るのは思いっきりビッチ路線のアイドル風トラップの曲調とチャラい服装だったりするのに対し、2015年あたりを境に、かなり風貌がトランスフォームしていて、このアルバムのジャケのインパクトそのままに、化粧が濃くなった上に激太りしてグラマーを通り越した体型に変化し、その上からサンバーパンク的なボンテージファッションとジェンダー的な近年の要素が交わり、曲調も80年代を感じさせる何処か懐かしくも、かなり如何わしいユーロビート的ボディーミュージックへと変化した経緯というのが解った。
そのチィッピーノンストップ自身の変化の要因が今回のアルバムから参加しているDJの存在なのかもしれないが、いくら検索しても詳細が無さすぎるので、個人の見解としてはチィッピーノンストップ自身がセルフプロデュースを展開する上で過去のキャリアを払拭する為のギミックなのではないかと勘繰っている。
しかも裏付けするかの様に、今回のこのアルバムが有名エレクトロ系音楽サイト「レジデントアドバイザー」で月間アルバムに取り上げられて、注目が集まる中で、
mixmagHOR BERLINの様な有名DJサイト、
そして立て続けになんとボイラールームにまでDJとして出演し、その特異な風貌でジェンダー系の支持を集める様な選曲も込みで中々強烈なインパクトだった。
アルバムは全曲ポップセンスが漲り、覚えやすいメロディとビゴピコでチープな打ち込みにローファイでノイジーな陶酔・酩酊感が統一されていて捨て曲一切なし。全体的にニーナクラビッツ主催のtripを感じるぐらいハードなスピード感が主体ながら打ち込みのサウンドデザインもユーロビートというよりはヴェイパーウェイブを消化したサウンドで、
レーベルのロゴだと思われるジャケ右下の配置とロゴデザインも、例えば80年代のユーロビート、テクノシーンで散々バブリーに大量生産され墓場の様にブックオフで見かけるゴミCDの様で兎に角気に入ってしまった次第。






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┗ HOLOGRAM
  "No Longer Human"

  (2018-2021/10 -IRON LUNG records)



エレクトロトライバルハードコアを完成形に到達した感のある日本のkkmangaのオフィシャルTwitterで何故かこのバンドの事が呟かれたのがキッカケで聴いたのだが、なんとも聴く音は2000年代初頭のカオティックバンド、例えばジェロムスドリームモヒンダー辺りの狂気さの影響を感じつつ、構成やデザインがハードコアマナーを乗っ取りつつも、変拍子や唐突な展開をしたり、ビートも一辺倒ではなくDビートからドカドカ系、そしてフィルの使い方やギタープレイなどにもパンク直系のニュアンスが支配していて素晴らしく、録音環境に興味が行ってしまうインパクトのあるサウンドデザインも含め、何とも知的なのにローでキテレツなバンド。
昔関西にいた伝説のバンド「フューチャーズ」が好きだったのもあって、それに近いニュアンスを現代に消化した様な内容が、ここ何年かバンドミュージックどころかハードコアという響きに不信感を持ってしまうので意識的に敬遠して来た中で非常に心を鷲掴んだアルバム。
しかもこの音源は2018年に350枚のみアナログプレスされただけの模様で、バンドに関する情報が一切なく(ホームショーの様なライブ映像は確認済み)何故かこの2021年のタイミングで日本にも来日した事のあるツーピースノイズコア「IRON LUNG」のレーベルからBandcampにてデジタルリリースされていて、ここからレーベルの音源を片っ端から追いかけるハメになる。
兎に角ドラムのビートが最後までカッコいいし、一辺倒にならない緩急でもって到着する最後の曲が秀逸。(YouTubeで確認する限りドラムはアジア人)




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┗ Xenia Rubinos
  "Una Rosa"

  (2021 -ANTI records)



去年ごろからレフトフィールド/オブスキュアといった形容し難い近未来的なジャンルにおいてワールドミュージックの要素を取り入れる様な音楽が目立ってきている様な気がしている。
その理由はインターネットの普及が全世界に広がり、物流や流通などで起こるタイムラグが無くなって、全世界同時進行で音が聴ける上に、例えば10年前まで楽器はおろか録音機材さえ無かったような辺境の地にさえパソコンとある程度の機材さえあれば自作の音楽を全世界に届けられる様になった事で、その地域性がフォーカスされた結果だと思う。
その傾向が顕著に現れたのは今年ブレイクしたムドゥーモクターに印象に深い。
このゼニアルビノスが奏でている音楽からはラテンやブラジル音楽の系譜が感じ取れるが、元々ブラジル音楽が好きだった自分にとって、また、昨今上記の様にブラジルからも近代的な音楽が出現してきている中で、そういった要素をレフトフィールドに取り込んだ音楽は聴いた事がなく、またハイブリッドすぎる演奏と圧倒的な歌のうまさに驚愕しつつ、天才的ソングライティングセンスでササっとこなしてみましたわよ、と言わんばかりの自信に満ち溢れていて凄い。
たった1人でハイエタスカイオーテやダーティープロジェクターズと引けを取らない。
当人はキューバとプエルトリコの血が入ってるようで、その容姿とファニーな表現に中々のパンチがあるが、昨今女子アーティストが大量に出回って飽和してる中で南米の音楽をハイブリッドに仕上げた功績は大きいと思う。
ムドゥーモクターもそうだったが、土着で辺境な音楽が全世界で流行っているのに、Twitterアカウント個人のベストにはほぼ挙がっていない辺りに日本人特有の「先入観」がある様に思えて仕方がない。
ワールドミュージックに対しての理解力だろう。






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┗ EXAEL
  "Flowered Knife Shadows"

   (2021/02 -SODA GONG)


ここ何年かハウスミュージックしか聴いてなかったが、その理由の大きなひとつに「漫画的なイメージを持たせないでくれ」というのがあった。
仰々しく悪魔やファンタジーを押し付けてくる音楽に疲れてきたのだ。
スキーマスクフローティングポインツの新譜がドラムサンプリングによる生ビート感溢れる作品だったりして、プログレッシブな印象ながらも肉体的で実は分かりやすい、という原始的な意識へ作用するアルバムだった様に思うが、このアルバムはそう言ったアルバムの流れからは程遠く、かなり隙間が多く、一時期のエイフェックスツインのフォロアーの様にパソコンのキーボードを打ち込む様な冷たさとパルス感で統一されていて、
このアルバムが面白いと思ったのが、聴くタイミングもしくは体調により大分その聴こえ方に差異が出てくる様な特殊なアルバムなので、解析の為に自転車に乗りながら何度も聴いてしまった感がある。
聴くタイミングや体調が良かったらビートは明確かつ正確に聴こえ、体調が悪かったら「ただブッブツ言ってるだけ」の音楽に聴こえる。
ビートの造り方が精密過ぎる事で体調という意識に作用するアルバムで年間通して印象的だった。




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┗ calibre
  "Feeling Normal"

  (2021/02 -Signature Recordings)


このアルバムも内容がめちゃくちゃ良かった割に誰もベストアルバムに選出してなくて不思議だった。
最初全く気付かなかったのだがアルバム全編BPMが140で統一されており、だからといって一辺倒だったり飽きたりする様な事が一切なく、ボーカルがフューチャリングされた曲の配置だったり、多種多様なビートだったりと、バラエティに飛んでる割にはクラブミュージックの基礎を抑えてる感じが最後まで持続している。そう言った意味では多様化したDJミックス系の音源との差異という意味でコンセプト的であり、楽曲全体に流れる近代的に再編されたドラムンベースやダブステップ、その音楽のルーツであるベーシックチャンネル的なレゲエへのリスペクト、また女性ボーカルとピアノが入った曲はマウスオンザキーズの名盤tresに入ってる様なポストロック〜ジャズ〜エレクトロフュージョンの雰囲気がアルバム全体のトーンを支配している。だがマウスオンジキーズが好きな人にはレゲエ色、民族感、打ち込み感が邪魔かもしれない。
俺は是非マウスオンザキーズとコラボして欲しい。




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┗ Dungeon Weed
  "Mind Palace of The Mushroom God"

  (2020/08 -Fobidden Place Records)


今年はYouTubeのAIに大変お世話になった一年で、特にストーナー・ドゥーム・スペースロック周辺は一時期からどれも一緒に聴こえ始めてシーンから遠のいた反面、海外の大麻解禁の流れと90年代の伝説SLEEPの再結成、また元々ストーナーというジャンル自体がアメリカ白人主義的土着要素のあるハードロックを基調しているのでバンドを始めやすい音楽であるのか、ここ3年ぐらいでとてつもない量のバンドが結成されリリースを重ねた印象がある。
その中でも印象的だった2枚のウチの1枚。
なんつーか兎に角サウンドプロダクションがドギツく強烈な上に、ファズの効いた単音のギターリフ、歌メロやウワモノと曲展開が意外とポップでカラフルなので緩急もあり最後まで通して聴ける。だからといって他のバンドと違って物凄くオンリーワンでも無いし、どの曲だけ特化して良いとかでもなく、リフがとびっきりスゴイわけではない。どちらかと言うと全体的に非凡。自分でも何が良くて聴いてたのかというとトータル的なバランスの良さであって、実はこのぐらいのクオリティーを出せるバンドが少なくなったのかもしれないし、長い期間をかけても飽きずに聴き続けられる理由なのかもしれない。



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┗ WITCHROT
  "Hollow"

 (2021/04 -Fuzzed and Buzzed // DHU Records )


こっちがもう一枚。
世の中には強烈にヘビーなバンドやアルバムへの需要がある反面、ライトでヘビーなバンドやアルバムの需要や良さもあるもので、
例えば、中学生の頃は当たり前の様にスピードにのめり込み「誰が速いか選手権」においてアルバムの速さをスピードガンで測る様な体感が今も好きな自分とすれば、ライトではないヘビーで極端にイカれた音楽が聴きたい性分なので、
このアルバムにおいては最近流行りだった女子ボーカルスタイルのストーナー・ドゥームの中でも理想的というか、兎に角サウンドプロダクションが凶暴で、女子ボーカルスタイルで中々ここまで凶暴なストーナーバンドはいなかったんじゃないかと思うぐらい爆発メガトン級で酩酊的。方向性的にはcathdralのリードリアンが主宰するレーベルrise aboveからリリースされててもおかしくないレベル。
もちろん凶暴一辺倒ではなくリフと歌メロの良さがしっかりあるからこそアルバムトータルでも聴けるが、5曲目以降の流れに停滞さを感じてしまい飽きてしまうのが残念。
このアルバムは個人的にコレからも推し続けることになるぐらい強烈な印象だったので2021年ベストに選出。




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┗ Don Cherry
  "Om Shanti Om"

 (2020/07 -Black Sweat Records)


言わずと知れたスピリチュアルジャズ、ブラックジャズ界の異端。2020年リリース。
「なぜ今頃?」のリリースとデジタル配信。1976年にイタリアのテレビ放送用に超高音質録音によって録られたライブドキュメントを音源化した作品。
まず音の良さもさることながら、普通のジャズ的感覚なら次々に音が重ねられていきそうな所を必要最小限のパーカッションと必要最小限の楽器でミニマルと変拍子、即興だからこそ演奏人に与えられた時間帯や展開。その全てを持って抜き差しし、しっかりと造られた曲構成に耳が奪われる。そして基本はインドや東洋の神秘主義とアフリカの民族音楽融合した世界観。コレが一発録りだと思うと完璧すぎる内容で誰にも教えたくないぐらい凄いリリース。




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┗ Nala Sinephro
  "Space 1.8"

   (2021/09 -Warp Records)


何目線かはさておき、パッとみ、このアルバムをベストに挙げている人が多くてホッとした所があった。
若干22歳カリブ系ベルギー人女性がこのアルバムをwarpから出した、と思うと何層にもアーティストとしての幅が見えてきて面白い。
アルバムの内容も電子系フリージャズのライブ演奏を聴いてるかのような感覚だったりトータスを聴いている感覚だったり、DJ的(実際にレジデントでDJも行なっている模様)に長いスペースを使って緩急を演出するセンスでアルバムを飽きさせないのがまず素晴らしく、そう言った意味では今年ベストアルバムに何度も選出されているフローティングポインツとファラオサンダースのコラボ作が正にそうだったが、もっとスタンダードなジャズやスタンダードなDJプレイというか、曲を無理なくエディットしていくインディのローカルのDJ的ニュアンスでアルバムは構成されていて、後半になるにつれてしっかりとベースにあるクラシックなジャズを使ってクライマックスに向かい、聴き終わる頃には意識的にビジョン化の出来ないストーリーがしっかり展開されているのが驚愕。去年から今年にかけて東京都とそんなに規模も変わらないUKのロンドン辺りからこういった音が沢山出まくっていて、そんなスゲー音楽を作る連中が集まっているロンドンて一体どんな街なんだろう?と不安かつ興味津々。





┗ 次点


Fentanyl -"Demo"(2020 -?)

→今年後半はパンクハードコア系の音楽をかなり聴いた。その中でもデモながらトータルのバランスや個性が良かった印象。今後に期待。


LINGUA IGNOTA -"SINNER GET READY"(2021/08 -Sargent House)

→例えば魔女的な概念があるとしたら、ストーナーやドゥーム以上に歌へのこだわりという点で聖火とは真逆を行くような快感すらあったが、俺にとってはリズムが無さすぎて一辺倒だった。


Suzanne Kraft -"About You"(2021/06 -Melody As Truth Recordings)

→ガイデッドバイボイセズ辺りをしっかり聴いたのも今年だったが、その音質のローファイ感含め、全てにおいて楽曲がコンパクトでロックバンドのツボを突きまくってる辺りが素晴らしかった。が、なんというかこういう宅録形態というものに対しての苦手意識はズーッとあるので次点。


Moor Mother -"Black Encyclopedia of the Air"(2021/09 -ANTI records)

あれ?去年リリースしてませんでしたっけ?早すぎません?
一回聴いてメチャクチャ良かった
来年持ち越し


aya -"im hole"(2021/10 -Hyperdub)

一回聴いてメチャクチャ良かった
またとんでもないの出てきたなー
来年持ち越し


Quartabê -"Depê" (2017/07 -?)


→塩さんに教えてもらったので無し。


LITOVSK -"Litovsk"(2016/04 -ET MON CUL C'EST DU TOFU )


フランスのアナーコパンクシーンがこんな感じになってると思うと中々面白いと思った次第。やってる事がバクチクやボーイ。










-    【2021ベストシングル】    -





┗ Meer
  "Beehive"

  (2021/01-Karisma & Dark Essence Records)


何かに似ている。何かに確実に似ている。それが分からない。未だに分からない。
オーシャンサイズ、プラシーボ、ミュール、ドリームシアター、レディオヘッド、イエス、ライブ、、
北欧らしい壮大な世界観ながらまだアルバム一枚のみのリリースという事で今後台風の目になりそうな予感。しかし日本で盛り上がってる様子はない。




┗ Mad Honey
  "Blue & You"

   (2021/11 -?)


情報が無さすぎて意味がさっぱり分からんのですが、ただ単純にいい曲だなぁ、こういうオルタナというかニューウェーブなグランジというか聴きたかったんだよなぁ、という感じ。シューゲイザーやりたかったメンバーがU2みたいな曲作ろうとなったらエモになった様な感覚。誰も何も知らないだろうからこそ挙げてみる。




┗ Manisdron
  "LFAD"

  (2020/12 -L.I.E.S. Records)


今確認したらリリースが2020/12月という事だったんですがレジデントアドバイザーの2021年1月の月間ベストシングルに選ばれたこの音を聴いて驚愕しました。今現在トーキングデッドゴーツから改名しマスロックとダンスミュージックの可能性を追求し続け世界的な評価もあるゴートの現在のドラマーの方のソロらしく、しかもニューインダストリアル/ノイズハウス的な流れを牽引した海外のL.I.E.Sからリリースという、なんとも、なんともな作品。
自分で叩いたと思われるドラムに機械的で工場的シーケンス、意味が全く無さそうで哲学的な歌詞の連続、海外の感覚だけでなく日本人が聴いても納得な作品。




┗ MONTAKA & LOUD-K
  "Stone"

   (2020/07 -?)


今年の年明けはこの曲で始まった気がするぐらいジャストな音質、ジャストにチルで気の張ってないラップ、レゲエやダブがトラップと出会ったような素晴らしい曲。
函館のローカルなMCトラックメーカーらしく、今年の最初ぐらいまではその辺のシーンを追いかけていたが、中々アンダーグラウンドなシーンなのか更新も遅く、表に顔を出さないのでコロナ禍がもっと和らいだりしたら旅行がてらに観に行こうかと思っている。



┗ East of Oceans
  "Broken Seas"

  (2019/08 -R&S Records)

今年は名門r&sのカタログを片っ端から聴いて行った。その中で一番「おお!」となった曲がコレ。どう考えてもBPMの調整をミスった様に速い違和感のあるビートから女性ボーカルの幽玄なリフレインがドツボ過ぎた。
実際2021年に参加したDJイベントでは毎回プレイ出来るようにテンポを落としたバージョンを作って持って行ったし、実際テンポを落とすと音質は悪くなるので正解のテンポ感の方がしっくりくる事が分かるという何とも言えない珍品。


┗ なかむらみなみ
  "NAKAMURA なかむらみなみRemix - LB-RUG"

  (2021/04 -?)

昨年SEEDAが発表した"nakamura"が衝撃的過ぎる内容だった中で、その歌詞の意味、そしてナカムラとは何か、が非常に気になったが、その答えがこの曲にある様な気がしたのと、teng gang starr活動休止から長い事経っても未だアルバムのリリースもない「なかむらみなみ」ソロリリースの中でもリミックスではあるが一番いい形でキャラが曲に溶け込んでる気がしているし、この曲が海外のボイラールームで流れたという情報もヤバすぎた。


┗ C.O.S.A
  "Twinz feat. WELL-DONE"

  (2021/04 -SUMMIT, Inc.)

キッドフレシノが若さと容姿と経歴を持って徐々にオーバーグラウンドに上がっていくのを見つめつつ、コラボ作品から今に至るまでお互いの信頼度が高まりすぎているのが分かる名古屋のラッパーC.O.S.Aもまたその流れの中で徐々にオーバーグラウンドに浮上しつつある様な気がしている。この曲のいい所はデブなのをしっかりヒップホップステータスとして笑かしつつ、とんでもないスキルで印象的なライムを刻み続ける辺りにある。正直この曲が収録されたアルバムの中においても異色作でありつつ今までに聴いた事ない質感だったのでめちゃくちゃ聴いた。



┗ Elkka
  "Alexandra "

  (2021/05 -Technicolour Records)

この曲は素直に「いい曲だなー」と感銘。
出来た曲をぶった斬ってエディットしまくった、はたまたサンプリングの様な食い気味の打ち込みと機械が故障したかの様なリフレインが高貴な音色の中で展開していくのだが、ハウスの曲の中でも聴いた事がないぐらいに展開が多く、ボーカルも入る割にはしっかり踊れるツボを押さえているのが素晴らしい。ただしDJのセットに意外と組み込めない謎の感覚もある。








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【映画のまとめ】



音楽については手当たり次第曲単位で聴いたり、例えば視聴回数といった機能が無い、聴いた記録が残らない環境下で節操なく聴いていたので「どれだけの回数を聴いたのか?」「何枚のアルバムを聴いたか」という概念に縛られるスポーツ的な記録と記憶に意味を見出せなくなってしまった。
近年はDVDを借りに行かなくとも家で映画が観れるという訳の分からない時代に突入しつつも、テレビを付ければ映画がすぐ観れる環境ゆえ、忙しい日々の中の2時間を集中する「修行のような」感覚には中々なれなかったのが面白かった。
今まで観た映画はフィルマークスという映画アプリへ必ず記録する様にしていて、昔DVDを借りてきた時に自分が既に鑑賞済みの映画だと分からずに借りてきたり、という重複や被りが無い様に出来たり、何より鑑賞した映画の内容を忘れがちなので、自分がその映画を見て何を感じたか、を書いておけば、その映画が話題に上がったり気になったりした場合に思い出せるという効果がある。
そういう形において音楽との向き合い方と映画の向き合い方は矛盾している。

今年は見返した映画も含め78本しか観ていない。
一時期は年間220本観たという記録があるが、その時期忙しくなかったのか?と問われるとそうでもなく、なにより時間の無い中でそこまでの本数を観ていたのは仕事の忙しさにマインドがやられない様に自分の意識を保つためだったからではないか、と今は思う。あの時はコロナ禍だった今よりも人とのコンタクトを意識的に避けていた様な気もしつつ、唯一の楽しみが仕事帰りにTSUTAYAに寄って店内をディグり、返却期間まで全ての枚数を観る、という個人的記録に挑戦して自分に課した目標があったのだと思う。
音楽はどんな媒体でどんな状態でも手当たり次第聴く様になったのは、携帯でなにかを検索しながらでも聴けるし、自転車を運転していても聴ける。車でドライブしている時でも聴ける、という「ながら聴き」が可能になったからであり、
映画においてもDVDを借りるという行為がレコード店でディグをしている時の様な時間で楽しかったり、DVDを返却しなければならない、というミッションが身銭を払った、という感覚に縛られ、例えば試聴も出来なかった時代に死ぬ程CDを買っていた様な感覚に近いのだと思う。
そういう縛りがなくなった今現在、映画を観る、という行為から離れて行っているという現象が起きつつも、話題作や追悼作品などから垣間見れる意識の変容や抽象的なメッセージがもたらす影響というのが自分にとってはどうなのか?という部分において映画は特別な存在として保たれていると思うし、やはり時間を使って音と映像を集中させる環境というのは家の中ではなく、行為として縛りがありつつ、そこに集まった人々が観た、という確かな感覚になれる映画館なのかも、と感じているので、2022年映画への向き合い方を探りたいと思いながら書こうと思う。


○ 基本ルール
 ・デジタル配信、DVD/Blu-ray、映画館などの環境関係なくカウント。
 ・2021年公開に限定せず掲載。






-   【2021年ベスト映画】   -



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┗ ラビッド・ドッグス
  (1974 -マリオバーヴァ)

    アメリカ/イタリア:96min


ドゥーム・ストーナーのみならずメタルの始祖ブラックサバスのバンド名の由来となった映画「ブラックサバス」を撮ったイタリアホラーの巨匠と呼ばれるマリオバーヴァ監督の後期作品。
何故か今年に入って今までTSUTAYAなどでもお目にかける様な事も無かったぐらいにマニアックな監督でもあるマリオバーヴァの作品が一気にU-NEXTに登場して歓喜した。
兎に角U-NEXTは凄いと思う。観たくても借りれなかった様なマニアックな作品が続々とアップされている。
U-NEXTやアマプラなどのネット映画はデジタル配信する為に昔の映画をしっかりマスタリングしてる場合が多く、この映画の映像の綺麗さにまずはビックリした。そのマスタリングされていない映像、マスタリングされた理由などに非常に興味が沸いた作品でもある。
映像の質感は東洋三部作を撮ってる頃のベルナルドベルトルッチの質感で、映像の中に映される80年代イタリア都市部の街並みや登場人物の服装と映像のミスマッチがB級感に繋がり、また犯人役のだらし無さやストーリーの展開の独特さに序盤は不安しかなくなっていくが、都市部を出てからの車の中での密室劇、また密室劇だけかと思いきやそうでもない展開、そして独特の緊張感とB級感漂う無茶苦茶な行動に笑いが絶えず、ラストは驚愕の展開を魅せるなんとも今まで見たことない展開が満載のオンリーワンな映画で素晴らしかった。
世間一般ではあまり評価されていない様なのも再評価につながって欲しいのでこの機会に是非。(U-NEXT鑑賞)





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┗  麻雀放浪記
  (1984 -和田誠)

   日本:109min


最近は出来るだけ日本の映画を観る様に心掛けている。やはり日本人が日本の映画を知らない、というのは如何なものか、と思ってしまうので、有名どころの映画(飛んで埼玉、とかではなく)、古典と言っても差し支えない様な作品を手当たり次第探った気がする。
公開当時だった中学生の頃に話題になった映画で、大人ぶりたい中学生が訳もわからず観て興奮した麻雀のイカサマシーン以外の話が難しすぎて当時は全く頭に入ってこなかったが、今改めて見直してみると様々な場面を覚えていて、それだけカラー全盛期の当時に白黒の何とも言えない映像の質感が印象的だったのだと感じた。麻雀のルールやジゴロのヒリついた生き方を理解出来たこの歳の感覚で観るとストーリーや話の内容に心が震える所があり素晴らしい内容の映画だった事に気付く。小学生や中学生の時に観た様な映画を見返すと、自分の中の記憶が場面場面で蘇り続ける何とも言えない感覚に陥る。
その感覚が何者で何を自分に残すのか、という実験のために去年から今年にかけてやたら小中の時にテレビで観ていた様な映画を見返して今現在の脳で分析をしていた。(U-NEXT鑑賞)






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┗ 激突!殺人拳
   (1974 -小沢茂弘)

   日本:91min

 


今年、千葉真一が亡くなったが、何故か亡くなる直前に見た事もあって虫の知らせというのを感じた次第。
多分その虫の知らせというのは病状が悪化し先が長く無いという報を知った方々が功績を見つめ直し、再発見や偉業を讃え始めた事で起こった現象だろう。
例えば任侠映画でのし上がったスターも年々追って他界し初め、そうなると残った千葉真一にフォーカスされていくのも当たり前である。特に任侠スターの中でも異色な経歴で海外での評価やアクションスターとしての地位やスタントマン育成などハイパー過ぎる人生を送った千葉真一の凄さはこの映画でも完璧だった。
映画の内容は「ブルースリーの映画流行ってるから適当にアクション俳優見付けて似た様な映画作ろうぜ」という現代の日本映画の感覚にも繋がる大量生産型商業映画の主旨で作られた様にしか思えないが、後々に海外でも評価の高い傑作扱いになってる辺りには、例えば上記マリオバーヴァのイタリアンホラーであったりマカロニウエスタンなどに見られる「海外でヒットした映画を自分の国でも」という方法論をシネフィルの様なオタクがオリジナルを知った上で「自国の人間が先入観なく楽しめる視点」を評価し共有した事が一般人視点の映画の見方を増やした功績だと思う。そこにはモチロン映画「トゥルーロマンス」の冒頭でカップルが観ている映画が正にこの映画であり、同映画の脚本をデビュー前のタランティーノが書いているその流れが顕著に表している。
多分ブルースリーのモノマネを日本風にしたらこうなる、と言った様子で千葉真一が独特なキャラを生み出し、またカンフー映画との接点として敵役のキャラ設定も見ものであり、独特の空手殺法で人を殺しまくる姿は北斗の拳などに影響を与えた可能性もある。
特に川谷拓三との一戦における殺しの描写は一見の価値あり。
終始無茶苦茶な展開に圧倒されながらもしっかり伏線は回収していて緻密さも感じつつもやっぱり無茶苦茶、という内容と終わり方に終始笑いっぱなしだった。この映画が評価される理由が分かるぐらい独特の世界観である。
続編もあるが、今はその功績と映画界へ及ぼした影響を感じるばかりである。(U-NEXT鑑賞)






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┗ 三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実
  (2020 -豊島圭介)

   日本:108min


三島由紀夫という人は自分にとって「触れてはいけない人物」として、正に常識的にやってはいけない事をした「腫れ物」として認識する様に世間一般から刷り込まれて来たのだと思う。
killieというバンドをやるにあたって初期のコンセプトでもあった「ショック療法」の根底にはディスチャージのジャケのみならず様々なバンドが模範と模倣をした「ニュースに映し出される狂気」をビジュアルに取り込みショックを与える事で、鈍感で毎日のルーティンをこなしている民衆にショックを与え再考してもらうという意図があったが、何よりも「犯罪者が犯した罪の再審始まる」のタイトルそのままに、テレビが普及した昭和から平成にかけての日本の狂気を再考するにあたって「腫れ物」に辿り着くのは一番早かったぐらいに、その存在は圧倒的だと思う。
多くの人が今でも三島由紀夫が考えていた思想や哲学、生き様などに対しての議論や考察を続けているが、私の場合は三島由紀夫の小説をほぼ読んでいない。
だが、右翼と左翼という歴史を勉強していく過程で必ずぶつかり、その強烈な生き方に「この人は一体何を考えているんだ?」と興味が湧かない訳がない。これを狂人や怖い、とかで片付けてしまう所にこそ意識の壁が大きくそびえ立っている。
東大全共闘とのやり合いはその頃からほぼフルでYouTubeで観れたし、なんならkillieのSEでも使っていたぐらいなので、正直このドキュメンタリーの公開を知った時「え?今更?」という感想しかなかった。
今年は上記の様に架空のストーリーに2時間拘束されるよりドキュメンタリーを沢山観たので「勉強がてら」という軽い気持ちで手をつけたのだが、何よりビックリしたのが当時東大全共闘として三島に討論を挑んだ当人や「楯の会」のメンバーが当日の事を鮮明に話している事だった。何よりもその証言の数々により、これまで語り尽くされた感のある三島由紀夫が、このドキュメンタリーを素材として再度人々が語れる部分が多くなった様な気がするし、思考や社会性の構造を大人になって理解出来た自分にとって「なるほど」と思える事が多くありつつも、時間を有効活用するためだけに生活や仕事に慢心する様な現代において「どうでも良いことをあーだこーだ言い合う」だけの議論に対する価値はあまり見出せないかもしれないが、自分の中ではこのドキュメンタリーを見続ける事が新しい思考を定着させる教材だと確信した次第。(アマゾンプライム鑑賞)






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┗ ライトハウス
  (2021 -ロバートエガース)

   アメリカ:108min


唯一2021年作品。
YouTubeの広告がウザイ、と個人的にはあまり思う事がなく、昔からCMの作り方、公開されている期間、公開されている時間帯など、その裏側にある視点が今も面白いと感じている方で、YouTubeの広告は映画の広告が入るので非常に助かっている部分がある。
この映画がどう言った形で話題になっていったのかは知らないが、その白黒の質感となんとも言えない不穏な感じ、セリフの少ない印象と名優ウィレムデフォーが出演している辺りで「これは観なきゃいけない」という直感があった。こういった海外で話題になった暗い雰囲気の映画を大々的に告知する、というその感じがたまらなく興奮するのだろう。
自分が映画を観に行く、となると確実に早稲田松竹である。他の映画館はラインナップにテーマ性がなく、ただの旬を取り扱った時期的な事で消費されているだけの様に思える場所が多いが、早稲田松竹は常に二本立て、4本立てにおいてもテーマ性を持っていて、館内の張り出しによる説明なども非常に為になる事が多い。そして早稲田松竹は話題になった新作が全国を回り巡った半年後などにしっかり公開してくれるのもありがたい。ライトハウスの上映が決まった時ほどヨッシャ!となったぐらいの一年である。
巨匠イングマールベルイマンを感じる白黒の映像と、ほぼ説明なしの前半から徐々に「何のために2人がココへ集ったのか」が明らかになっていくが、その反面謎も深まり、最後は抽象的な台詞と展開で終わる為、フィルマークスでも様々な人が「意味がわからない」と書いてる人が多いが、2021年コロナ禍における環境というルールに縛られたストレスにより他人との間に生まれる権力争いや協調性、また何も出来ない事に苛立ち他人に暴力的になる様な暴力などを1890年という時代と宗教性をもって表している様で、イングマールベルイマンのみならずタルコフスキーの映画やアンジェイゼラウフスキーが描いた様な抽象的質感に似て意識に働きかける事が多くあった様に思う。謎解きとか考察系映画が最近流行ってはいるが、そういう映画とは視点が外れていて考察の先にある答えが近代的だと感じたし、昨今実際に人との間にあるトラブルに巻き込まれる事が多かった去年今年の深層心理としては答えを見せつけられた様な気さえしている。(映画館:早稲田松竹鑑賞)





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┗ 悲愁物語
   (1977 -鈴木清順)

   日本:93min


ぶっ飛んだ映画を創る監督といえば俺の中では鈴木清順だが、まだ全作品を網羅出来ていない中でU-NEXTにこんな珍品の配信が挙がってきた。
この映画は鈴木清順の作品とも捉えられていない様な、検索にもあまり引っかからない作品で、評価もあるか無いかもよく分からないぐらいに抹殺されている理由は、原作がタイガーマスク問題で暴力団との付き合いが噂されてマスコミを賑わせていた漫画家「梶原一騎」の没作を、同じくやりたい事やりまくって業界から干されていた鈴木清順が10年ぶりに映画を撮った、という何とも如何わしい背景があるからに違いないと思う。
前半は「これが鈴木清順?」と思う程、大金積まれて普通の映画を撮る様に指示された様な、ブランクと迷いがある映像とストーリーだが、後半になるにつれてメチャクチャぶっ飛びまくってる描写が漫画を実写化した様な映像が多くなり見事に梶原一騎作品を鈴木清順で消化した様な素晴らしさがあるし、ラストは手塚治虫の漫画の様な終わりを見せるのも中々凄かった。
鈴木清順はこの映画で復帰後に名作「大正三部作」で映画の新たな境地に踏み込んで行くことになる。(U-NEXT鑑賞)





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【総評】


とある私の友人が「忙しすぎて音楽聴く暇も映画も観る暇もない」と飲んでる時に漏らしていた。
そうなると普段の仕事において精神や意識は会社の同僚やヒエラルキーのみならず取引先や客相手の一般層へ順応しなければならなくなり、それにより無理が祟って精神は参っていく。
私自身は昔からテレビが好きなので、テレビから発せられるリテラシーやモラルなどに自分自身がコントロールされない程度で見るように心掛けている。しかし私が産まれてから今に至るまで、私が見てきた普通の家族というのは、家に帰ったら食卓や洗濯などをしてテレビを観ながら1日の疲れを癒し終える事で必死である。それだけテレビという受動的で簡潔的な構造が日本という国の意思統一をコントロールしている。
私がテレビを観ていてムカついたり、もしくは社会に飼い慣らされた一般人の意見にさえ服従しなければならなくなり、精神がやられる時ほど音楽を聴き、映画を観るのである。
それはつまり監視のキツくなった現代においては言論の自由にも窮屈になり、許されるべき表現の自由は逃避の先の世界観を抽象的に構築する事であり、それは戦争中に描かれた絵画の様にメッセージ性に溢れつつも個人の頭で勝手に解釈した妄想に浸り生きる力を強める。




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