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日本人アクターに英語を教えることについて

アクティングの指導に、英語を使ったトレーニングを行う場合がある。

何もハリウッドを目指してほしいわけではない。

言葉に頼らない演劇トレーニングという位置づけである。

一方、私は、言語教育にも携わる身なので、折角なのだから、限られた時間内で複数のスキル習得を可能にしたい。

何年もアクティングという夢を追い続けたけれど、夢を追ったという結果だけしか残っていない人を多く目にする。個人的には、これを聞くと少々つらくなる。

英語とアクティングが同時にトレーニング出来れば、彼らの生活も大きく変わるのではないか。

そんなことを、ふっと感じることも少なくない。

くれぐれも、夢は叶わないものという前提でこれ書いているのではないし、夢を途中で諦めることは個人的には大反対である。並行して複数のスキルを身に着けておく重要性のお話である。

そういった意味で、英語は有益なトレーニング材料であると見なしている。

しかし、アクターであるからこそ考えないといけないことがあるように思う。

多くの人が英語に憧れを抱くという事実と、その憧れは選択させられた憧れという事実である。

これを読まれる一部の方が、憧れの映画人を問われて、ハリウッドで活躍する人物を挙げることは、ごく自然なことだ。

しかし、ドイツの名優やイランの名優でもよかったわけであるが、そういった人物の名前が上がらないのは、そもそも、ドイツ映画やイラン映画を目にする機会が少ないからである。

ハリウッドスターを選んだのではなく、ハリウッドスターを選ばされたという形式に近いものがある。

そういった意味でも、私は英語を使ったトレーニングでは、単に言語的な側面を扱うのではなく、非言語的な点まで踏み込んでトレーニングをするようにしている。

なかなかそういったものに興味を示す人が少ないので、ケーススタディーのデータは少ないが、興味のあるアクターがいらっしゃれば、今後の演劇界は少々明るいものになるかもしれない。

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