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なぜこの仕事をするようになったか~独立しようと思った理由

人材育成や人事に関わる仕事がしたいと思って転職し、そのポジションに異動することができた私でしたが、7年勤めてそのアパレル会社を退職することを決意しました。なぜ退職して独立(つまり今の仕事)をしようと思ったのか、きょうからその部分に入っていきたいと思います。

大きな理由は妊活

なぜ退職しようと思ったのか、理由は1つではなく複合的なのですが、大きな理由は「妊活」つまり不妊治療です。

再婚したとき私は36歳で、この仕事に就いたばかりでした。それもあり、まだ「子どもを産もう」という気持ちになっていませんでした。

2年後、仕事も覚えて自分のやり方というものがある程度できてきたこともあり、パートナーとの関係もうまくいっていて「子どもがそろそろほしいな」と考えるようになりました。

もっと早くから妊娠について調べたり、考えたりしておけばよかったのに、、と今となっては思いますが、以前の結婚のとき前の夫は「子どもはいらない」という主義だったこともあって、それまでの私は、妊娠・出産について深く考えたことがありませんでした。

「そろそろ子どもを考えてみようと思う」とパートナーに伝えたところ、「えっ、持ってもいいの?」と言われたことが今でも忘れられません。今の結婚は、私にとっては居心地のよい、楽な関係ですが、夫にとっては「言いたいけど言えないことがある」のかもしれない、と反省しました。

不妊治療と仕事の両立は楽じゃない

でも、お察しの通りですが、妊活と仕事の両立は大変でした。

まず2人で産婦人科に行って調べてもらうところから始まりました。これは以前からわかっていたことですが、私に子宮内膜症、子宮筋腫があることも要因の1つなのでしょう。タイミング法ではなかなかうまく行きません。

お医者さんに、年齢的にも、もう体外受精を考えていったほうがよいと言われ、最初は横浜の結構有名な病院で治療していたのですが、結果が出ず、日本で最も有名かもしれない、高齢出産の芸能人などもたくさん通院しているという、新宿の病院に通うようになりました。

そこは土日もやっている病院で、比較的柔軟に予約が入れられることも両立には助かる点でした。

助かったのは会社の環境です。とても理解のある会社と上司で、不妊治療をしているということをわかってくれ、急な休みなどもOKしてくれましたし、勤務時間内に決まった時間にやらなければならない卵子を育てるために自分で打つ注射や鼻に入れる薬なども問題なく行うことができました。

※そこは人事の仕組みを決める責任者が直属の上司だったので、特に助かった部分もあると思います。

そして、当時はまだまだすごく珍しかった在宅勤務との併用もパイロット版として許可してくれたのです。

本当にありがたかったですし、できれば仕事は続けていきたいと考えていました。続けていける環境がある程度整っていたのですが、それでも両立は苦しいものでした。

気持ちの面がどうしても宙ぶらりんのイライラ

こんなに理解ある会社だったのに続けられなかったのは、やはり「成果が出ない」からでした。

最後は顕微授精を何度か行いました。体調を整えるために針治療も行う、漢方を飲む、などあらゆることにお金を使って行っていたのですが、受精卵が着床しない。

先が見えず、中途半端なこう着状態が長く続くので、メンタル的に「これいつまで続くんだろう」という気持ちになってしまうのです。

夫はとても協力的で、精子を採取するのに会社を休んでクリニックに一緒に行ってもらう必要があるのですが、一度も不満を言ったことはありません。

そこから「私のせいで子どもができないんだな」「彼に悪い」という罪悪感が沸き起こってきてよけいに落ち込んでしまう、悲しくなってしまう状況でした。

仕事の面でも大激震が起こる

そんな状態を好きな仕事をしている、ということが私を支えていたのですが、会社の組織にも、ものすごい変革が起こっていました。

(次回に続く…)

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