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夏の日に思い出す、とある患者さんのこと

夏になるとふと思い出す、ある患者さんの話。

これは私(アクロストン夫)がまだ医者になりたての頃の話です。
今から10年ほど前、私は大学病院の泌尿器科に勤務していました。

ある日、病棟に一人の患者さんがやってきました。名前はAさん。女性の方です。
子宮頸癌の患者さんでした。

病気に詳しい方だと「あれ?子宮頸癌は婦人科じゃないの?」と疑問に思うでしょう。

彼女は若い時に子宮頚癌、それも進行したものが見つかり放射線療法を受けました。

Aさんが受けていた放射線療法は現在のものとは大きく異なります。使用する機械も、照射する方法もまだまだ現在のように進歩しておらず、治療による合併症が多く起きていました。

Aさんの子宮頚癌の治療は成功(業界用語で寛解)しましたが、治療から数年経過した後に大きなトラブルが彼女の体に起こります。それは膀胱膣瘻(ぼうこうちつろう)。

放射線の影響で膣が傷つき、さらに膣の隣にある膀胱に向かって穴が開いてしまった状態です。こうなると膀胱におしっこが溜まると膣へ流れ出てしまい、すぐにお漏らしの状態になります。
もっとひどいのは感染症です。本来膀胱の中はほぼ無菌状態。そこに膣経由で菌が入るため膀胱炎、それも重度のものがしょっちゅう起こります。
Aさんは膀胱炎どころか骨盤全体に炎症が広がってしまい、入退院を繰り返していました。

実は当時、若手の私はこのAさんが少し苦手でした。彼女の治療は基本的に抗生剤の点滴。骨盤の炎症がひどいため歩行はほとんど出来ず、大体ベッドの上で横になっていました。感情の波が大きく、調子の良いときは話が長く、調子の悪いときはものすごく不機嫌で些細なことで怒鳴られたこともありました。

Aさんに会いに行くときには「今日のご機嫌はどうかな、、」と恐る恐るベッドの周りのカーテンを開けていた記憶があります。

私の気持ちとは裏腹に、Aさんに私は気に入られていました。
その理由は私が点滴の針を刺すのが上手かったから。
点滴の治療を何度も受けたAさんの腕の血管はボロボロ。しかも感染症を繰り返しており痩せており、血管はとても細かったです。
Aさんの血管と私は相性がよかったようで、他の人が苦労するところを結構簡単に刺せていました。そのため点滴が漏れるとAさんからご指名を頂き、病棟へ赴いてました。

そんな中、夏の暑い日のこと。
何の用事かはわすれましたがAさんのベッドまで呼ばれました。その日のAさんは機嫌が良く、新しいシーツ(長い時間ベッドに寝ていたAさんはシーツにこだわりがあった)の話で盛り上がりました。そろそろ行こうかなと、私が挨拶してベッドから去ろうとした時、Aさんが突然「先生、私ね、時が止まっているの」とボソッと話しました。

そこまでの会話が盛り上がっていたこともあり、私は「Aさんお若いですもんねー(実際に年齢に比べて見た目の若い方であった)」と軽く返しました。
するとAさんは「そうじゃないの。私の人生はずっと止まったままなの」と窓の外を見つめながら、ボソっと呟きました。

Aさんが落ち込んでいる時はたびたび見かけていたのですが、今日はいつもと違い寂し気。返事に詰まってしまい「そうですか、、」と私が答えていたところで看護師さんが検温にやってきて会話はそこで終了。
Aさんはその翌日か翌々日に退院していきました。時折Aさんのことを思い出していたのですが、私も泌尿器科から他の科へ移ったのでそこからAさんとは一度も会っていません。

これが私のAさんとの思い出です。
私はこの記事で癌が進行した時の状況を説明し、癌は怖いよ!と脅かしたい訳ではありません。

そうではなくてAさんがポツリとつぶやいた『時が止まったの』という言葉の意味を、みなさんに考えて欲しいのです。

Aさんにその言葉の意味を確認していないので真意は分かりませんが、長期間に渡って入退院を繰り返していた彼女は病院で過ごす時間が生活のほとんどでした。病室から外を眺めれば普通に生活している人たちがたくさん。
そこからAさんは自分の状況を「時が止まった」と表現したのではないでしょうか。

がんにかかると、その患者さんはたくさんの時間を病院で過ごします。
診察を待つ時間、色々な検査の時間、治療の時間。
人によっては入院も長くなるでしょう。病院で過ごす時間だけではありません、検査の結果が出るまで不安に過ごす日もあるし、治療後に体が回復するまでにも日を要します。
子宮頚がんの患者さんの多くは若い女性です。バリバリ働いていたり、子育ての真っ只中だったりと忙しい方が多いのではないでしょうか。

生命を脅かさない早期のがんでもたくさんの時間がかかりますし、進行すればする程その検査や治療にかかる時間は増えていきます。
Aさんの言葉を借りれば「時が止まる」のです。

子宮頚がんのほとんどはワクチンで防ぐことができます。
そして検診で見つけやすいがんの一つです。



(注: 文中にも書きましたがAさんが放射線療法を受けていたのは20年以上前です。その時代と比べて、現在は機械や照射方法がかなり進歩しており、合併症の発生はかなり低くなっています。)

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妻・夫。二人とも医師。子どもに必要な性の知識を楽しく・ポップで・まじめなコンテンツにしてお届けします。 https://acrosstone.jimdofree.com https://www.facebook.com/acrosstone インスタグラム:@acrosstone