時間差読書会。ハンナ・アーレント『革命について』読書会に3回出ての、まとめ
1、はじめに
私の出ている読書会は、指導者が字面を解説していくのでなく、内容を理解する助けになるように、参考になるようなお話を交えて‥指導者を中心に参加者も時折口を挟んで‥ゆっくりゆっくり進んでいく。3回とも、読書会で読んだのは第6章のほんの一部だ。
しかし、そこでアーレントが何を言っていたのか、それをふまえて指導者がどう言ったのか、こうやって書こうとしたら全然ハッキリと分かっていないのを改めて痛感した‥むしろ投稿しようとしたことで、何がどう分かってないのかが自分に少しでも見えて良かった感じだ。
この投稿は、自分の振り返った内容だ。
2、「公的領域」と「私的領域」、「政治」について、指導者が語ったこと
『革命について』でアーレントが書いていた(と指導者が言った)こと
「私的領域」というのは、古代ギリシャで一族が奴隷と一群になって住んでいて、そこで食料生産だの何だの食べていくための自給自足をやってた場所を指す。
「公的領域」というのは、そういう群れが何十か集まって都市国家を作っていて、その国家のことをそれぞれの群れの代表が集まって話し合う場所を指す。各自が食べていくことと(直接?)関係ない、あくまでも都市国家全体のことを話していたから「公的」という。
「政治」というのは、都市国家の「公的領域」で行われていた事を指す。
(こうアーレントが書いていたか、指導者が言ったかは、かなり自信がない)
『革命について』の読書会で指導者が説明していたこと(と、私は受けとったが、本当にこんな事を指導者が言ったかは、自信がない)
・「公的領域」「私的領域」について
現代日本の資本主義の世の中で、金銭を稼がなければ食べていけない人が殆どなので、「公的領域」は存在しづらい、というか「公的領域」の筈の場所がそれぞれの利益をぶんどり合う「私的領域」になってしまっている。
・「政治」について
『革命について』第6章でアーレントが言っていた「政治」とは、アメリカの共和制についてのジェファーソンの文章を紹介しているように、国会とか地方議会、区議会だとかを指す。
しかしアーレントが『全体主義の起源』でも語ったように、市民一人ひとりが社会について考えるのを止めてしまうと、全体主義的な支配者に引きづられてナチス・ドイツのユダヤ人虐殺や、スターリンの恐怖政治に繋がってしまう。であるから議会に限らず市民が集まって話し合うということが大事で、それこそが「政治」だ(これは、アーレントが著書のどれかで言ったのか、指導者の考えとして言ったのか、そのどちらでもなく私の妄想(?)なのかは不明)。
読書会で、指導者がアーレントの主張をふまえた上で語った意見(なのか、私が発言内容を取り違えてるのかも、やっぱり自信がない)
・「公的領域」「私的領域」について
「公的領域」を成り立たせるには、それぞれが資本主義にどっぷり浸かった生活を少し変える必要があるのでないか。
例えば、自分で野菜を育てるだけでも生活費は減り、金銭を稼ぐのに没頭することから離れられる (ホントにそう言ったかなぁ? そういう主旨かなぁ?)
・「政治」について
今の世の中も、戦争、貧困者の増加、社会の分断など様々な問題が山積している。それを少しでも改善するには市民が集まって話し合ったり、活動したりが大切だ。
(そんな事を言ったのか? 自分の考えが一部混じってるのかなぁ? しかし市民活動なんて、私は好きじゃないけどなぁ‥)
3、「公的領域」「私的領域」「政治」についての、自分の意見
「公的領域」「私的領域」
議会だろうと、ただの市民の話し合いだろうと、利益の分捕り合いという要素が全くない純粋な「公的領域」って、古今東西を問わず、ないんじゃなかろうか?
そして貧富の差が大きい小さいや、そのなかでどの位置につけているかは、利益のぶんどり合い思考・志向にはあんまり影響しないんでは。生活が苦しければ楽になる政策を喜ぶだろうけど、金持ちももう充分です、自分の利益にならなくていいですって思わないのではないか? 「政治」の場に出たら、自分の利益になる方「私的領域」に話すのでは?
例えば自分で農作物をつくって自給自足的な生活をしてる人でも他の人でも資産が下から99%に入る人にとって、子育てが終わるまでの教育、あといつでも医療、福祉に関する施策は死活問題なので、「公的領域」なんて言ってられんと思う。医療で保険部分がどんどん減って、自費部分が高額になったら? オヤがぼけて特別養護老人ホームに入るとなったときに、税金ケチって入れる場所がない、料金爆上がりとかも困るんでないか? 自分の利益を考えて発言し、投票するだろうよ。
そしてサービスを利用するより減税が嬉しい金持ちは、そっちの方向で動くと思う。
「政治」
市民が集まって活動したり、話し合ったりするのに意義はあると思うけど、全体主義とか何か有害な政策に社会が引っ張られていくのを止める力はないんじゃなかろうか。
貧富の差が大きくなれば、戦争や革命や国家の崩壊に向かうんだろうし、疫病も起きる(対処を間違えて大災害にしてしまう)ときがある。
‥戦争、革命、崩壊、疫病が貧富の差を小さくするけど、貧富の差が大きくなるとそういう事を起こすのか、他に貧富の差を縮める方法はないのか‥シャイデルの書いた『暴力と不平等の人類史』を読みかけなので、そこをどう言ってるかはハッキリつかんでいないのだけど、ともかく議会での「政治」、巷での「政治」にそこまでは出来ないんじゃなかろうか。過去は無理でも、これからは可能かもって、私にはちょっとそう思えない。
じゃあ、市民活動は何のため? まぁ大きくは期待せず、やってて楽しそうなのには参加してみてもいいかなってのが今の自分の姿勢だろうか。
4、最後に
自分なりに考える・意見を言うたって、その前提になるのが指導者が何を言ったかの理解なので、そこが間違ってたら話にならない。けど、理解できてるのかがとっても心許ない。
理由としては、読書会が長く続いているので、指導者が今までの話を分かったものとして、どんどん詳細や背景説明などに進んでいって、中心的な定義の説明はスルーだから。そして参加者が、分からない事を指導者に問い質したりしないからだと思う。
自分は困る。他の参加者は困らないのかなぁ。
で、毎回しつこく書いてるけど、分からなかったら、その都度聞こうと思う。でないと考えを一歩一歩進めていくことが出来ないし、不快なモヤモヤを感じながら帰ることになる‥って2回目から様子を見つつ実行してるのだけど、それでもこの有り様だ。状況が改善に向かうかは、これからのお楽しみというところだ。
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