俺の悲痛な叫びを聞いてくれ

初稿から自分語りになるが、まずこれを書かない事には始まらない。今の自分が形成された理由をここに記す。長ければ最後の数行だけ読んで欲しい。

最後から読めば恵まれてるのかも知れない人の小さな不幸話なのかも知れない。だけど僕にとっては癒える事のない心の大傷である。

中学生の頃から心が壊れ出した。部活動を始めて朝練から夜の10時過ぎまで毎日練習をして、ずっと怒られていた。誇張ではない。

今となってはどちらが悪かったのか分かるよしも無いが、一つだけ間違いない事は部活に対してのモチベーションが合わなかった。

「ゆるく参加してただ何となくやるもの」と「自ら積極的に学び高みに登ろうとするもの」の違いである。

もやしっ子に対してこのタイムスケジュールで、帰ったら疲れ果てて寝るような活動に対して勉強もへったくれもあるかと思った。

それを伝えた日は当然怒られた。

公共の会場の予約を任される日もあったが、自力で予約するよう言われ、他の団体に先を越された時も対応方法も何も分からないまま、別の場所を仮押さえした日も怒られた。

隣の人がミスをしても、何故か自分には必ず流れ弾が飛んできて怒られた。その人よりも長く、付きっきりで練習をさせられた。

とにかく何をしても怒られない日は無かった。

そんな日々を続けているうちに高校生になった。

中高一貫の男子校だったから、高校も必然的に同じ部活を続けるものだと思ってしまっていた。

逃げてもいい、辞めてもいいという他の選択肢は見えていなかった。真面目系クズを貫き通した。

一度はやめる機会があったが、今になっても本当に優しくて大好きな先輩達がいたから辞めたくなかった。

そんな思いすら、自分が高一で副部長をやる頃にはもうよく分からないことになっていた。

怒られると思いながら部活に足を運んでいた。

責任感の為か、それ以上に酷く怒られたくないからか、

自分が練習の為に部活に行ってるのか、怒られる為に部活に行ってるのか分からなくなっていた。

それが限界まで溜まった時、引っ込み思案な自分がはち切れた。先生へ暴言を吐きそのまま辞めた。

冷静になって翌日持っていった退部届は受け取ってもらえなかった。

辞めてから何か新しい事を始める気持ちは起きなかった。生きる希望を探そうと思う事もなく、心が重いまま卒業した。

結局、学んだ事はいくつかある。

世の中思った事は素直に言わない方がいいという事。

大人なんてロクでもない生き物だという事。

世の中そんな状態でも誰も助けても分かってもくれないという事。

こんな気持ちすら、大人になるほど訴えかけてもそんなものよねと流されて、鑑みられる事はない事。

ふざけるな。

俺の貴重な青春をかけてあんな目に遭って、それで人より得られるものがさらに減った事は自己責任だなんて。

五体満足で健康で大学院まで出て、友達もいてそれは確かに恵まれている。

しかし、僕は最終的に自分で選んだこの中高の6年間を何もかも傷だらけで人に陰気な雰囲気を振りまく人間を創り上げてしまった自分自身を許せない。

文法もへったくれもなく、とめどなく込み上げる気持ちと出来事をいくら書き連ねてもまとまる事はなく、不毛なのでここで一度筆を収めることにする。

p.s. まさかお題に被ってるとは思わなかった



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