【小説】人を感動させる薬(2)

(前回)人を感動させる薬(1)

ジェイ編集の担当している若手小説家のエル氏は現在スランプ中だ。

エル氏はジェイ編集の勤める出版社が主催したエンターテイメント小説大賞で入賞し、その才能にほれ込んだジェイ編集が彼に声をかける形で作家デビューした。現在は三作目の原稿を完成させたところである。

しかし、ジェイ編集はこの小説の出来にいささか不満だ。

なぜならば、デビュー作以降のエル氏の作品の内容は、ジェイ編集が期待しているようなエンターテイメント小説とはかけ離れているからだ。

デビュー二作目の「愚かな男が次から次へと騙されて借金を重ねたあげく自殺する物語」は一部の文芸評論誌で高評価を受けたものの、本自体の売り上げはひどいものだった。

現在完成して入稿間近の三作目の内容も「病にかかった男が自暴自棄になり酒と博打に溺れ何もかも失って最後は一人で死んでゆく物語」で、ジェイ編集の期待しているようなエンターテイメント小説とはかけ離れた内容だ。

正直、救いもなければ山場もない、感動しようのないストーリーの駄作だと思う。

きっと売り上げは前作以上にひどいものになるだろう。

ジェイ編集自身もエル氏にはっきりと言ってやったことがある。


「エル先生、何度も言いますけど、今時こんなただ主人公がどんどん不幸になっていくだけの暗い話じゃ読者は誰もついてきませんよ。

もっと読者が楽しんでくれたり感動してくれるようなエンターテイメント小説を書きませんか?

先生が入賞したのはエンターテイメント小説大賞です。

編集部も先生にはエンターテイメント小説を期待しているんですよ。」


しかしエル氏の答えはいつもの通りだった。


「うるさい。

またあなたは僕に指図をするのか。

僕はもともと純文学作家志望なんだ。

僕の書いている小説は芸術であり真実だ。

人間の弱さ、醜さ、そして愚かさをありのままに僕の文章で表現しているんだ。

僕には文章を書く才能がある。

表現力もこの国のどの作家より抜きんでていると自負している。

あなたも僕に作家デビューを進めたときに、そういったじゃないか。」


「確かに先生の才能は私も買っていますよ。

文章力も表現力も同年代の作家では先生にかなう人はいないでしょう。

でも、それだけじゃダメなんです。

今時の読者は物語にカタルシスを求めているんです。

この際だから正直に言います。

二作目の小説の売り上げがからっきしです。読者にウケてないんですよ。」


「売れなくたって、二作目がいくつかの文芸評論誌で高評価を受けていることはあなたも知っているだろう。

文壇に認められさえすればそのうち有名な文学賞でもとれるんじゃないか?」


「文芸評論誌の批評はあまりあてにしない方がいいですよ。

うちの会社が広告を出しているところがほとんどですから、悪いことは書けないんです。

先生は知らないかもしれませんが、部数も少なければ広告費も安いですから営業担当がうちの会社の本を書店に置いてもらうための説得材料に使っているんですよ。

あの手のマイナーな文芸評論誌はそういう用途のものなんです。」


「だ、だとしてもだ!

僕の小説が売れてないのは今時の頭の弱い大衆が素晴らしさを理解できていないだけだ。

いずれ後の世では僕は天才としてもてはやされるはずさ。」


「私は後の世じゃなくて今、先生に売れる小説を書いてほしいんですよ。

編集者である私の会社での立場も考えてください。

二作続けてヒットが出なかったばっかりに最近編集長から白い目で見られているんですよ。」


「そんなことはあなたの問題だろう。」


「とにかく、こんな暗い話よりも、先生がうちの会社のエンターテイメント小説大賞で入賞したデビュー作のようなハッピーエンドの作品の方が近年のマーケティングデータから考えて今時の読者にはウケるはずなんです。

デビュー作の出版の時はたまたま運悪く会社に広告費と初版の部数を抑えられてしまい売り上げが伸びませんでしたが、今度こそは会社を説得してみせます。」


「ふん、あのデビュー作はネットで読んだお涙頂戴話の書き方の記事を読みかじってお遊びで書いただけのご都合主義の嘘っぱち小説さ。

現実はあの小説みたいに何もかも都合よくいったりしない。

二度とあんな読者に媚び媚びで真実のかけらもない低俗な娯楽小説なんて書くものか。

自分でも卑しいことをしたもんだと後悔しているよ。

純文学小説こそ僕の本領だ。」


「今時小説のジャンルが純文学作品かエンターテイメント作品かなんて読者は誰も気にしてませんよ。

そもそもジャンルなんて作家個人が決められるものではありません。

読者は単純に面白かったり感動するものを求めているんです。

今回の作品も今からでもいいのでせめて何かしら救いのある結末に書き直してもらえませんか?

たとえば、病で死期を悟った主人公がもう一度再起して、たとえ最後は死んでしまうにしても、何かしら希望を手にするなり、自分の過去の間違いに気付くなりしてから終わる形にするとか。」


そうジェイ編集は食い下がったがエル氏は全く取り合わない。


「断る!

それこそまったく現実味のない結末じゃないか。

心の弱い人間が弱いまんま終わることにこそ人間の真実があるんだ。

この小説はすでにこれで完成だ。

今更書き直しなんてできるもんか。

僕はこの作品を純文学作品として世に送り出す。

そして世間の連中に人間の真実の姿を突き付けて価値観をひっくり返してやるんだ。」


その後もジェイ編集はなんどもエル氏を説得したが彼は効く耳を持たなかった。

(つづく)

次回 人を感動させる薬(3)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?