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家と店 #1

これから書くことは、誰かに話したりすると、これまで積み上げたものが崩壊するかもしれない。

けれどわたしは思っていることや経験していることをそのままどこかに書くことで、やっと立っていられる。

もう長いこと書けてなかった。怖かったから。今、希望が見えてきた。やっと、という感じだ。
書くことで壊れるものは壊れるだろう。けれどその先に、行きたかった世界があるように思う。

では、書きます。




お店に人が来てくれるのは、本当に本当にうれしい。
ドアが開くとき、ときめかなかったことは一度もない。
小学校5年の時に抱いた「お店をする」夢が、ここまできてやっと叶ったんだもの。うれしくないわけがないのです。

お店(実店舗)ができたのは、3年半前のことです。パートナーの尽力のおかげでオープンできました。
その場所は、わたしの家でした。

家は、17年前に建てた家です。
木と漆喰と、タイルとホーロー。フランス製のコンロ、オープンな収納、愛してやまない家です。

家のなかに、店ができました。
始めたらあることに気がつきました。とても疲れるのです。

原因はわかっていました。
家は休むところで、家族しかいないところです。
店は働くところで、知らない人も入ってきます。
目的が正反対なのです。

いつしか私は、家で気が休まらなくなっていました。

お店がどんどん展開してゆきます。そのこと自体は楽しくて仕方ないわけです。なのに、わたしはどんどん疲弊していきました。
疲労を回復するのが追いつかなくなり、体と心のバランスがおかしくなっていきました。

パートナーは、どんなに説明しても、わかってくれない感じがしました。うまくいっているから、理由が説明できないのです。
第一彼は、私の家に住んでいませんから、店の仕事を片したら、アトリエ兼自宅に帰っていくわけです。彼はその場所に人をほとんど入れません。
自分の場所のプライバシーは守っているのです。それについて非常に怒りが湧きました。
あなたの家に私も帰らせてくれ。と求めました。
アトリエの荷物がいっぱいだと断られました。

しんどくて、体がどんどん重くなっていって、持病の病名が、次の年には変わって、ほかの臓器も危険な数値領域に踏み込んで・・・
このまま続けると、体は壊れるんだろうなということがわかりました。

「このままだと死ぬと思う」

パートナーにそう伝えました。

「大げさな。極端なんだよ。死んだりしないよ」

私は説明が下手なのです。だんだんじわじわ命が削れていってるのを、日々実感できるのは自分だけですから。けれど私が死んだら、元も子もないじゃないですか。

「約束している作家さんの個展はどうするの。その個展をあてにしている作家さんの期待を裏切るならそれなりに謝ってね」

パートナーはなぜこんなにわたしを追い詰めるのだろうと思いました。
なぜわたしの命を尊重する前に、人との約束を守ることを優先させるのだろうかと。

なんども訴えました。けれど何度も却下されました。
話しても話してもわかってもらえない。休ませてはもらえるけれど、やめさせてもらえない。
第一言葉が通じないのです。彼とは最初からそうでした。
なんど同じことを説明しても勘違いしている。逆に、彼の言っていることの意味がさっぱりわからない。
国語的に言うと、頭の中の辞典の意味が違うのです。
算数的に言うと、単位の違うものさしで測っているみたいなかんじです。

「このまま続けるのは無理だ。私はつらい」
その話題を口にするたびに、彼は激怒するのです。辛いのはわたしなのに、なぜ怒られなければならないのでしょう。ますますつらくなるので、そのうち言うのを諦めるようになりました。

諦めたところで、壊れてゆく自分を止められるはずもありません。

この夏、ついに自分をコントロールできなくなりました。
消えたい。帰りたい。逃げたい。



にっちもさっちもいかなくなった10月の半ばのこと。
いつものように苦難を訴えるわたしに、珍しく彼は弱音をポロリと吐きました。

「あなたがやめたいと言うたびに、僕の寿命は縮むのよ」

彼のその言葉は、初めて聞いた言葉ではありませんでしたが、その時初めて、心の奥に届いたものがあったのです。
私が何度訴えてもまったく聞き入れてもらえなかった願いを、彼は無視していたわけではなく、それどころか真面目にすべて聞いていたのだ!と言うことが初めてわかった瞬間でした。

「現実界に僕たちは根を下さなければならないの。夢と理想を語るだけでは、ごはんは食べられないのよ。あなたと一緒に生きていきたいから、僕はギリギリのところで、必死でやってるの。2人が生きてゆくための方法を、わからないなりに考えて、苦しいけれど逃げないで、やってみているの。お願いだから、わかって。やめるとか言わないで。一緒に生きていこうよ。」


彼の言葉の意味が、スーッとまっすぐに響きました。

今までの思い込みが、書き換えられてゆきます。
彼は自分だけのことを考えていたわけではなかったのです。
今の時代の男子だから、バブル世代の私たちみたいにお金や物をかざすことができない。けれど、私がこれまで生きてきた中で、一度も味わったことのない豊かで温かい愛情を
すでにたくさんくれていました。

毎年、誕生日には必ず、手作りの洋服と、花束と、特別な店のケーキでサプライズしてくれていました。
日々の中では、いつも私をほめて励ましてくれます。
人前でも手放しで、愛を表現してくれます。
どんなつまらない話でも、愚痴も、いい加減に聞き流したことなんて一度もありません。
どんな時も、私と言う人間をまっすぐに見ていてくれます。
たとえ私が悪態をついて去ろうとしても、彼は私の手をつかんで絶対に離しません。

加えて惚気ると、美味しい料理をいつもいつも作って食べさせてくれるのです。
甘えたい時に甘えさせてくれなかったことは一度もないです。



彼を信じよう。


私の中で、そんなふうにチャンネルが変わったのが、10月の半ばすぎのこと。

人生の中で、時々
「運命は自分で作っている」と実感することがありました。今またそんな気がしています。本気でやろうと腹がきまったようです。
10月終わり頃から、いろいろなことが起き始めました。

家と店。

もしかしたら、もうすぐ、家は家、店は店、と、分けられるような兆しが見えはじめました。

また続きを書きます。

→ 家と店 #2

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