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物語食卓の風景・シングル女性の悩み④

 長沢美紀子は疲れ切っていた。「真友子、話長過ぎ!」結局カフェで3時間、悩みを聞き続けた。またお母さんの話に戻ったところで、サンドイッチの簡単な夕食を追加することを提案して、食べるとさらに真友子の話はヒートアップ。行ったり戻ったりの長い話は、きっとこれまであまり人に話してこなかったことがうかがえた。もっと前から聞いてあげていればよかったと思う一方、真友子も聞いてくれる友達いなかったのかな、と思ったりした。

 そのとき聞いた言葉が印象に残っている。

「母親との確執は、最近でこそ『毒親』なんてきつい言葉もあるぐらい知られるようになったけど、私たちが若い頃はお母さんという存在は神格化されていたから、長い反抗期みたいに取られがちだったんです。ヘタに話すと『お母さんの苦労は子どもを産んだらわかる』とか『親のことを悪く言うもんじゃない』って説教されちゃうんですよ。『あなた、いつから会ったこともない私の母親の友達になったの。私の友達じゃないの?』って言いたくなるぐらい、急に母親の肩を持つ人もいるんですよ。世の中で、お母さんはお母さんというだけで、みんなが味方なんです」

 誰もまともに聞いてくれないのは、確かにつらい。私たちは仕事柄、人の話を受け止めることが多いけど、一般社会ではまずは受け止める、ということは普通じゃないかもしれない。説教したり、自分の主張を演説する場にしてしまったり、適当にスルーしたり、ということはよくある。私にも覚えがある。もしかすると、私がそういうまともに聞かない態度を取ったから、いけなかったんだろうか……いや、昔のことは考えないことにしよう。まだまともに向き合いたくない。

 でも、私も聞くのが仕事のうちだからか、こういう悩み相談室みたいなことはよくあるな。それこそ若い頃は恋愛の悩みを私にところに持ち込んでくる人が多かった。夜中に泣きながら電話をかけてくる子もいたし、喫茶店で泣きまくる子も。電話は多かったかな。今はすっかりLINEやメールに取って代わられているけど、昔はもっぱら電話。電話代が1万円かかる、なんて月もあった。あれは恋愛真っ盛りの頃。ふふふ。

 何でみんな、私のところに相談を持ち込んでくるんだろう。私はそんなに恋愛体験が豊富じゃないし、それはみんなわかっていたはず。

「受け止めてくれる感じがするんですよ」と真友子なら言うかな。編集者の職業柄かしら。でも、学生時代は別に編集者じゃなかった。

 でも、それで相談されると、つい姉御肌を見せたくなっちゃうのも私の悪い癖だわ。今日だって……。

 真友子の話を要約すると、母親が自分の作った理想の娘のイメージに、真友子を当てはめようとして、「ちゃんと私自身を見てくれない」という問題と、彼女のお母さんという人は、まともに人の話を聞かない人らしいという2点に集約されるらしい。どうも、自分の世界に閉じこもりがちのタイプのようだ。もしかすると、お父さんが出て行ってしまったのは、お父さんも自分のことを受け止めてくれない妻に疲れ果てたのかも。でも、それだったらもっと早く破綻してもおかしくないし、やっぱり歴史サークルで彼女でもできたんだろうか。

 私の両親はどうだったんだろう。そういえば、両親も熟年離婚だったなあ。お兄ちゃんはちゃんと家庭を作って子どももいるけど、帰省するより、私がお兄ちゃんのところへ遊びに行って甥っ子や姪っ子と遊ぶ方が多かったなあ。正直、田舎へ帰ってもあんまりおもしろくないし、同級生たちとも生活がかけ離れてしまったから、話も合わなくなったし、触れてほしくない過去もあるし。

 たぶん、うちの両親は私とお兄ちゃんがいなくなって、役割を失ったんじゃないかなと思った。あんまり夫婦の会話があるわけじゃないし、どっちも子どもにばかり話しかけていたような気がする。お父さんの存在感がないって真友子の話は、他人事じゃない。

 お父さんは真面目でいい人だったけど、そう面白い人でもない。メーカー勤めでそれほど出世もしなかったけど、左遷もされず黙々と定年まで勤めて私たちを大学までやってくれた。お母さんは外に出かけるのが好きで、友達をいっぱい作って、趣味をたくさん持っていた。長く続いたのはパッチワーク教室かな。家にはお母さんの作品があふれていたっけ。私の布団カバーもお母さんの作品で、家を出るときにも、何枚か持たされた。あれ、どこへやったんだろうか。洋服もよく作ってくれたな。よそ行きは、どういうデザインにするのか、一緒に考えるのが楽しかったっけ。

 お母さんは縫物が好きで、アイロンかけはすごくマメにしていて、私がハンカチやTシャツまでアイロンをかけるもんだと作業していたら、あの人、「そんなものまで、アイロンいらんのちゃう?」って。やだやだ。でも、Tシャツのアイロンかけを止めたのは、あの人の影響だったな。

 でも、料理はあんまり得意じゃないみたいだった。それでたまーに、お父さんが週末、腕によりをかけてビーフシチューを煮込んだり、ステーキを焼いたりするの。あれはおいしかった。あの塊肉とか、骨とか、どこから買ってきたんだろう。家事はほぼお母さんだったけど、自分のことは自分でしなさいって、お兄ちゃんが中学生になって、部屋が別々になってから、私たちも自分の部屋の掃除をさせられるようになった。あの頃からお母さんも働きだして、最初はパートだったのに、私が大学生になる頃には社員さんになって。そこからは、家族で外食する機会も増えたなあ、むしろ。でも、お父さんとお母さんが楽しそうにしゃべっていた記憶はない。もしかして、お母さんはそうやって着々と離婚の準備を進めていたんだろうか。

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