物語食卓の風景・夫婦の時間①
真友子はさっそく航二の行動を観察することにした。美紀子と別れて家に帰ったら、航二が風呂に入っていて、スマホがダイニングテーブルに置いてあった。いくらなんでも心の準備ができていない、とドキドキしながら真友子は寝室に入って上着を脱ぎ、ペンダントを外す。
シャワーの音が止んだ。そうか、今日は私がいないからシャワーにしたんだ。お風呂ぐらい洗って入れてくれたらいいのに、あの人は私の帰りが遅いとシャワーで済ませてしまう。私だって遅く帰ってから湯船に漬かりたいときもあるのにね。そう言ったら「早く汗を洗い流したかったから」とか「疲れてて」と言い訳をする。自分1人のために風呂を沸かすのももったいないから、そのまま自分もシャワーにせざるを得ない。なんかなあ、と思うのだけれど、モヤモヤしたままベッドに入って寝る。今日もそんな夜になるのね。
でも、シャワーなら携帯見なくてよかった。もしチェックしているところへ航二が入ってきたら大変だもの。と思ったところへ、航二が入ってくる。「お帰り。真友子も外食してきたのか」
「うん。長沢先輩と打ち合わせで、話が盛り上がっちゃって。航二も食べてくるって言っていたし、いいかなと」
「別に構わないよ。鍵はいつも持って出ているし」
機嫌がよさそうだ。そこで真友子は、思い切って探りを入れてみることにした。
「なんか機嫌がいいわね。誰と食事だったの?」
「いや別に、会社の同僚だよ。特に変わったことなんてないよ。でも、この頃気候が良くなっただろ。コートとか着ないで歩けるようになって、あちこち花も咲いているし、まあ夜だからあんまり見えないけど、気分いいなって。春になると、身体が軽くなった気がしないか?」
「ああ、それはあるかもね。ふーん、春が機嫌をよくしたんだ」
「そうだよ。何か含みのある表現だな」
「別に」。どうやら、これ以上はツッコまないほうがよさそうです。ツッコむのが難しいところが、怪しいと言えば怪しい。手抜かりがないように周到に準備しているから、私は今まで何も気づかなかったのかも。私も怪しんでいるとバレないほうが動きやすい。と、真友子は今日何かを見つけるのはあきらめることにしました。
「君も入ってこいよ。今なら風呂場も温かいし」と、何だか優し気な言い方をする航二。ダメだ、これで私はいつも騙される。でも、態度を変えたらよくない。「ありがとう」と素直に風呂場へ行くことにする。
シャワーを浴びながら、何だか疲れ切った気がする真友子。私に探偵は無理かも。なんかなあ、緊張しちゃう。
翌日は航二も、夜7時ぐらいに帰ってきた。真友子も6時過ぎには仕事を切り上げ、夕食の支度にかかる。今日は、久しぶりにとんかつを揚げたい。明日は残ったかつでかつ丼にするつもり。春になると揚げ物を食べたくなるのはなぜだろう。夫婦2人だと余るから、天ぷらもフライも翌日に丼になる。台所を掃除するのも大変なのに、自宅で食べる天ぷら、フライは楽しいんだよね。油が泡だってきて、衣の色がだんだん変わっていくさまを見るのが楽しいし、料理している感がある。それに、店では食べられないアレンジを加えられるのが好きでもある。
真友子のフライには、パン粉に粉チーズを混ぜたチーズ味なのだ。そして、とんかつの場合は肉に塩コショウだけでなく、少しだけナツメグも振りかける。アジのフライは、軽く魚にハーブをかける。ドライパセリ、あるいはタイム。癖が強くなり過ぎないようにほんの少しだけ。あんまりかけると、航二が嫌がるから。
真友子は若い頃、少しだけレシピを載せるチラシの仕事をしたことがあり、イタリア料理やエスニック料理が流行ったときに、ハーブとスパイスについても調べていた。それぞれの特徴や使うべき料理。葉っぱや茎などのホールの状態の写真もチラシに載せた。そういうものが目新しくておしゃれだった。料理の先生がつくった料理もおいしかった。何だっけ。スパイス特集のときは、カレーだったよな。魚のカレーなんて、あの特集のときに初めて食べた。あ、でもツナカレーは体験があったかな。ツナを入れると何であんなにルウが黄色くなるんだろう、と思っていたっけ。
せっかく春なので、今日スーパーに出ていたタケノコの水煮を使って若竹煮も作る。2日前に味噌汁をつくったときの出汁が残っていたのだ。味噌汁は続くのでやめにする。その替わり、とんかつに添えるサラダをボリューミーにした。キャベツをせん切りし、ニンジンもせん切りし、それにルッコラを加えてボウルで混ぜる。板ずりしておいたキュウリを斜め切りして横に添える。トマトもくし形切りにして添える。
とんかつの衣をつけて、野菜を切っていたところに、LINEで航二から「駅に着いた」と連絡が入ったので、とんかつを揚げ始める。ブクブク泡が立っていく。ニンジンのせん切りの続きをやって切り終えたあたりで、とんかつを裏返す。きれいなきつね色! 野菜をまとめてボウルで混ぜる。このとき軽くドレッシングを和える。ドレッシングは、塩・オリーブオイル・レモン汁を順にかけて手で野菜を混ぜる。キュウリを切る。とんかつを油から引き上げてキッチンペーパーを敷いたバットで油を切る。チャイムが鳴って航二が「ただいま」と入ってくる。「夕食もうできるよ」と声をかける。ジャケットを脱ぎ、ネクタイを外した航二が入ってくる。「お、今日はとんかつか。そうだな春だもんな。春と秋の真友子恒例の揚げ物シーズン到来だな」とちょっとうれしそうな顔をする。
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