見出し画像

物語食卓の風景・残された妻④

 大型スーパーで、あちこちの棚を見て歩くうちに疲れてしまった洋子。夕食はシーフードサラダにするつもりで、刺身や珍しい野菜を籠に入れたものの、大量の商品を見続けて、夕食をつくるのが面倒になってきた。

 大きなスーパーは、商品の洪水ね。あれもこれも、どれもおいしそうだけど、年寄り1人で食べきれない種類がある。素材を少しずつでも入れるうちにたくさんになり過ぎて、次の食事まで残してしまうこともけっこうある。それで、次に予定していた料理を作れなくて、どんどん野菜室やチルド室に食材が残っちゃう。

 真友子が東京へ行って、香奈子が結婚して。娘たちがいなくなったときも、食事の量を減らすのは大変だったけれど、1人になるって特別ね。だって、一度に食べる量が少なすぎて作るのがけっこう難しい。特にお浸しの類が困る。小松菜と薄揚げの煮浸しは好きなんだけど、油揚げ1枚分と小松菜1セットで作ると、頑張って食べても2回、3回分にはなっちゃうのよね。また温めると小松菜に火が通り過ぎるし、かといって、冷めたまま食べてもなんだか虚しい感じになっちゃうのよね。それで、最近は小松菜とかまぼこやちくわを炒めたりすることが多くなったわ。炒め物なら1回分で食べられるし、まあ半分は束が残るから、次にまた小松菜で何か作らなくちゃいけないんだけど。

 味噌汁も、ふつうに作っちゃうと、何回も煮返す必要があるから、最近はお出汁だけ作っておいて、具材をその都度入れるようにしている。でも、その具材を準備しておかないといけないし、1回1回味噌を溶き入れなきゃいけないのよね。確かに、家族が4人そろっていたときは、1回で食べ切る量を作っていたわけだから、その都度味噌は溶き入れたんだけど、何か違う。そうよ、あの頃は味噌汁を続けて何回も作ったりしなかったもの。

 煮物もねー、1人分は作れない。もちろんつくりおきはできるから、大根煮たりサトイモ煮たりはするんだけど、まあたくさん残るでしょう。食べているうちに飽きちゃうのよね。だって、家族が揃っていた頃は、毎回違う料理を作っていたんだもの。

 毎回作るのが面倒になったのはなんでかしら。あの子たちが食べ盛りでお弁当も必要だった頃なんて、あっという間になくなるし、ヘタをするとお弁当によけることも難しいぐらいだった。香奈子はそうでもないけど、真友子は運動部に入っていたから、けっこう食べたのよね。それで結局、毎回作る。お弁当用には、改めて卵焼きを作ったり、簡単なフライをやってみたりとかしたわねえ。残ったフライを私のお昼に使ったりね。面倒なことをたくさんやったものだわ。同じ料理が並ぶと「またこれー」って、あの子たち厳しいんだもの。

 子どもたちって、何で同じ料理が並ぶのを嫌がるのかしらね。私が子供の頃なんて、煮物が2回ぐらい並ぶのは当たり前だったし、味噌汁の具だって似たようなものだったし、それでも文句を言わずに食べたわよ。そもそも父親が、食事中に子どもがしゃべるのを嫌がったし、黙って出されたものを食べるのが子どものあるべき態度で、不満を言うなんて許されなかった。私の記憶にはないけれど、苦手なものが出て箸が進まないでいると、「食べるモノがあるだけありがたいんだぞ」と諭されたものだった。

 うちのお父さんはそういうこと、言わなかったわねえ。同い年だし、やっぱり食糧難の時代を覚えていないのかしら。都会の人は、私みたいに田舎の人間より食べるモノに不自由したはずなのに。子どもたちが食べものに文句を言ったりしていても、あんまり意に介しているふうはなかった。というか、しつけは私の仕事で自分は関係ない、みたいな態度だったわ。お父さんがそんな風だから、私は大変だった。

 そうね、今作るのが大変なのは、文句を言うことも含めて、感想を言う子どもがいないからかしら。いや、やっぱり食べてくれる人の姿がないからよね。文句を言いながらでも、結局全部食べたり、好きなものだったらうれしそうにパクパク食べたり。育っていく子どもが食べる姿って、いいものね。たまに香奈子が子どもを連れて、食べに来てくれるといいんだけど。自分は見えないし、自分のためにだけ作るってなんだか虚しいわ。

 何だかつくることの虚しさを覚えてしまった洋子は、結局お総菜コーナーに戻り、ポテトサラダとあんかけハンバーグを選んで買って帰ることにした。料理を作るのは明日でいい。せっかく籠に入れた刺身は棚に戻し、それでも食べてみたかったプチベールなどのサラダ野菜は残した。家にツナ缶があるから、それを加えて翌日のサラダにするつもりなのだ。レジを済ませ、店を出るころには1日中働いた気分になって、すっかり疲れ果てていたが、まだ空は明るかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?