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物語食卓の風景・ワーキングマザー①

 香奈子の中学時代の親友、粕谷亜衣は、東京に来て20年、結婚して10年のワーキングマザーである。亜衣についてはこちらで少し紹介しました。

 亜衣は食品通販の会社で、カタログ編集などに携わっている。家庭向けの仕事で生活実感を知っていたほうがいいから、と会社はワーキングマザーに優しい。先輩たちもほとんどが育休を取って復帰している。

 子育て中のトラブルなどもみんなよく知っていて、今年小学校2年生になった友樹が保育園へ通い始めて、しょっちゅう熱を出したときも、先輩たちは「保育園へ入ったばかりの子って、熱を出すんだよね」「うちもそうだった」と言ってくれ、職場復帰したばかりの私が休んだり遅刻しても快く受け入れてくれた。

 もちろん亜衣は、そうした職場環境はきっちりチェックして就職した。母親が主婦で、父に相談しなければ家電などの大物はもちろん、自分の洋服も買うことができなかったのを目の当たりにしていた。私が何か欲しいと頼んだときも、習い事や塾へ行くときも、「お父さんに相談してからね」といつも待たされた。私は早くお友達に報告して一緒に通いたいのに、待たされてばかりだったのは、父の仕事が忙しく、話ができるまで2週間も3週間も待たされてしまうことがあったからだ。

 私が高校生のときには、出張が多いと思っていたら、実は浮気だったということもあった。両親といえども夫婦のことはよくわからない。一時、母は岡山の実家に帰ってしまったけど、結局1カ月ぐらいで戻ってきて、離婚はしなかった。大学生のとき、東京から関西へ帰省して一度「何であのとき離婚しなかったの?」と聞いてみたことがある。すると、「だってパートの私じゃ、生活していけないもの」と言われた。

 母は若い頃、地元の信用金庫に勤めていたけれど、大阪で働く父が岡山に帰省してお見合いし、結婚すると同時に辞めてしまった。引っ越したから辞めたということもあるけれど、当時は結婚退職が当たり前で、むしろできるだけ早く結婚して辞めることが奨励されてすらいたそうだ。大阪に来て、すぐに私を妊娠して、それから妹の美里が生まれて、「子育てに忙しくて仕事どころじゃなかったわよ」と母は言う。

 母が働きに出るようになったのは、3歳下の美里が中学生になってからだった。いろいろな求人をチェックしたようだけど、短大卒で信用金庫に3年勤めたぐらいのキャリアでブランクも20年近いのでは、何もできないに等しく、結局スーパーでレジを打つだけ。「正社員と仕事はほとんど変わらないのに、全然待遇が違うのよ」と嘆いていたっけ。

 そんな母を観て、私は結婚や出産でも辞めなくて済むような仕事をしたいと決めた。それに、私が小学校4年生のときに、バブル崩壊。景気はよくならないし、進路を真剣に考える高校生の頃には、仕事を見つけるのは誰もが大変なことが当たり前だった。お母さんみたいに適当に短大へ行って適当に見栄えがいい職場に勤めて結婚退職、なんて軽く考えられる時代は終わってた。

 というか、短大も就職も「花嫁修業」なんて意味がわからない。お茶やお花や料理教室が花嫁修業って言うならわかるけど。「働くってどういうことか知っていることが、将来の旦那さんの仕事を理解することだったのよ」と母は言うけど、それも意味が分かんない。だいたい、そんな腰掛就職の人を雇っておくなんて、なんて優雅な時代なんだろう。そんな人、今だったら真っ先に首を切られるんじゃないかしら。

 ピンポーン。チャイムが鳴った。届いたのは、大量のエンドウ豆だった。ゴールデン・ウィークに帰省したとき、「東京のエンドウ豆は、豆ご飯にしてもおいしくないのよ」と母にボヤいたら、「最近、いいお豆を注文しているのよ。今度送ってあげる」と言ってくれたんだった。和歌山の農家から直接届いたので、手紙はない。と思ったら、LINEのお知らせ。「有機農法で作られたうすいえんどうを送ります。この前テレビでやっていたけど、和歌山のうすいえんどうは、他のグリンピースと味が違うらしいわよ」とのこと。

 あ、また、LINEのお知らせ。何か言い忘れたことでもあったかな。と思ったら、メッセージは、香奈子からだった。「今度、お姉ちゃんが帰ってきてくれることになりました」だって。よかった。香奈子、最近あまり帰省しても会っていなかったけれど、4月に「相談があるから、ゴールデン・ウイークに帰るなら会ってくれないかな。もし、帰省の予定がないなら、電話でもいいから」と珍しく泣きついてきたからだ。今年はちょうど帰省する時間があったから、会うことにした。





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