物語食卓の風景・3人の行方②
結局、真友子はピンクのカットソーにお気に入りのトルコ石のネックレスを合わせ、下はベージュのパンツ、とおとなしめの洋服を選んだ。後で食事に行くからスカートやワンピースもいいかと思ったが、一応メインの用事としているテニスコートでドレッシー過ぎるのも不自然だし、気合が入った服装では美帆さんに警戒されてしまう。あくまで何も気づいていないフリをしなければ、と考えたのだ。美帆さんが若くてきれいな人だったら、見劣りするなあ、どうしよう。とも考えたし、長沢先輩なら、「もっとかっこよくしなきゃ!」と言うかもしれないが、いきなり戦闘モードは恥ずかしい……。
サークルでは、渡辺君以外はほぼ覚えがない、という状態だった。だいぶ新メンバーに入れ替わったようだ。そして若い。もしかして、航二と渡辺くんだけが、ややシニア層なのでは、と思えたが、それは見た目だけの問題かもしれない。渡辺君はずいぶん白髪が増えた。航二は染めているせいか、コートでは意外と若く見える。ほかのメンバーも、実はけっこう年がいっているのかもしれない。女性は、男性より若そうだ。やっぱり結婚とかすると続けにくくなるのかな。
休憩に入った渡辺が、話しかけてきた。
「真友子さん、お久しぶりです。今日はテニスウエアじゃないんですね。練習に参加するのかと思っていました」
「いやー。最近は散歩ぐらいしか運動していないから、すっかり鈍っているし、ラケットも鈍っちゃって」
「ラケットが鈍る?」しまった、やっちゃった。私が冗談言うとだいたい滑っちゃうのよね。関西時代も、うまくツッコめないからだいたいがボケ担当だったし、東京に来たらそもそもボケとツッコミの会話をしない文化だから、ますますスベる。だから、言わないようにしてきたのに、緊張し過ぎて冗談でごまかそうとしちゃった。
「いや、あの、ラケットのガットが伸び切っていることに気が付いて、私も使い物にならないけど、ラケットも使い物にならなくて。それで」
「ああ、なるほど。確かに鈍っていると言えなくもないですね。ラケットぐらいお貸ししますよ。ちょうど、ズボンもはいておられますし、よかったら」
「いえいえ。そんな」
「次はボレーの練習ですし、目の前に投げますから、ちょっと打ってみては」
「いえいえ」
押し問答がしばらく続いたが、断り切れない真友子は結局、ラケットを借りてボレー練習に参加することになった。正面にボールを投げてくれるので、何とか打ち返せている間に楽しくなる。しかし、自分の番を終えてコートサイドへ戻ったとき、ハッとした。しまった、まさかコートに入るとは思っていなかったから着替えも用意していない。わきの下にはしっかり汗じみ。やだ、これからライバルに会うというのに、汗をかいてしまって。私、何やっているのかしら。夢中になっている場合じゃないのに。
動揺した真友子は結局、その後たいして渡辺とも話ができず、他のメンバーと話すこともなかった。何となく遠巻きに見られている感じがする。いきなり見学なんか来て、ダサいプレーのおばちゃんを見て、皆さん引いちゃっかしら……。航二も、周りの人たちと楽しそうに話しているのに、私に紹介もしてくれないし。というか、私のことを忘れていない⁉
来てしまったことを後悔した。辞めてもう何年も経っているのに、突然見学するなんて無理だわ。もう少し昔のメンバーも参加していると思ったのに。もうすっかり浦島だわ、私。
練習が終わり、更衣室から航二と渡辺が話をしながら出てきた。渡辺は「真友子さん、せっかく来てくださったのに、あまりお話もできず失礼しました。今日は運悪く、旧メンバーが軒並み休みで、僕ぐらいしかわかる人がいなかったでしょう。本当は、あの頃のメンバーがまだ5,6人いるんですけどね。子供の学校行事だとか、親戚の結婚式だとか、親の介護施設に行く日だとか。真友子さんが来るって、LINEで伝えたら、皆残念がってよろしくって言っていましたよ」と言いながら、スマホを見せてくれる。確かに見覚えのある名前がいくつもある。「今度はぜひ会いたいです!」」というコメントも。
「今日は残念でしたが、ぜひまたいらしてください。今度はラケットのガットも張って」と渡辺。後ろから遠巻きで見ているメンバーたちも、心なしか先ほどより暖かい表情でこちらを見ているように見える。少しホッとした。「ありがとう。そうね、またぜひ」とにっこり笑っておく。
渡辺や後ろのメンバーに頭を下げて、「今日はありがとうございました」と言って、航二と一緒に車に乗る。
「今日、何にも話しかけてくれなかったわね」と思わず言うと、「だって結婚してからそんなに経たないうちに真友子は辞めちゃっただろう。メンバーでほかに結婚した連中も、子育てとかで奥さんが辞めていることが多くて、この中で夫婦でどう接すればいいかわからないんだよ。なんか照れくさいだろう」と言い訳する。そうだ、この男は気の利いた態度が取れないんだった。最近はあまり夫婦でほかの人と一緒に過ごすことがないから、忘れてた。実家に行ったときも、ちっともフォローとかしてくれないのよね。だから、一人で一生懸命お義母さんを手伝って、へとへとになって帰ってくるのよ。お義父さんとも最初は何話したらいいかさっぱりわからなかったし。
皆さんがそれほど私のことを白い目で見ていたわけではなさそうなのはよかったけど、それにしても、同世代の旧メンバーの欠席理由が、しがらみだらけね。子供がいないからあまり感じていなかったけど、そうよね、大人は家族のことでいろいろと忙しいのよねえ。私は辞めた理由が仕事だったけど、確かに遊びに育休取れるわけじゃないし、一度出産とかで辞めちゃったら、休みの日まで子供の行動に気を使いながらテニスやるっていうのも面倒よね。そして残るのは男ばかり。あ、でも旧メンバーに一人女性がいたなあ。祐子。ちょっと聞いてみよう。
「ねえ、旧メンバーで残っている女性って、祐子だけ?」
「んー、そうだな」
「祐子って結婚してる?」
「いや、してないんじゃないか」
「やっぱり」
「何が?」
「いや、続けられるメンバーは女性の場合、結局家族のしがらみがない場合だけなんだなと思って」
「そんなこと、ないんじゃないか。今のメンバーでも結婚している女性はいるよ」
「その人、子供いる?」
「いや、いない、いないと思う」
「ほら!」
「そんなフェミニストみたいな言い方しなくていいだろ。そうでなくても、最近は会社で女性の目が厳しくて、ちょっとした言葉の揚げ足を取られて、パワハラだのセクハラだの言われかねないんだから。家でまで余計な気を使いたくない」
「はいはい。失礼しました」
「ほら、着いたぞ。降りて」
「わかった」
航二が車を止めている間、真友子は、そっと左わきに鼻を押し付けて、においを確かめる。さっき、トイレでちょっと洗ってタオルで拭いておいたけど、どうかしら。くさくないわよね。ああ、もう一度化粧直しをすればよかった。髪の毛はねてないかしら。
「何やってるんだよ」
「ねえ私、髪の毛大丈夫?」
「大丈夫だよ。何緊張してんだよ」
「別に。でも航二が女性の友達紹介してくれるなんて、珍しいから」
「え、おれ、女性の友達って言ったっけ?」
「え!うん、言った!言った」、と慌てて強弁する真友子。言わなかったわ、そういえば。ここは聞いたことにしておかないと。
「まあいいや、入ろう。そろそろ時間が」
「うん」
航二が、茶色い木のサッシに覆われたガラス窓の横の、同じようにダークカラーの木の扉を押し開ける。
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