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小説・物語食卓の風景

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郊外で何不自由なく暮らしていたリタイヤ男性が失踪。家族や周りの人たちの戸惑いを軸に、家庭によって異なる家事のあり方について考えます。育児真っ盛りの娘、子どもがいない夫婦の姉、シン…
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2020年7月の記事一覧

物語食卓の風景・ワーキングマザー⑤

物語食卓の風景・ワーキングマザー⑤

「お母さん、富士山!富士山だよー!」

 亜衣は新幹線の中でうとうとしていたのだが、友樹の声で起こされた。

「ああ、ほんとね。今日はきれいに見える。何かいいことあるかもね」

「いいことあるの? じゃあ、ぼくアイス食べたい!」

「さっきご飯食べたところでしょう。いいことはもっと後で起こるんじゃないかなー」

「えー!お母さん、ずるい」

「何もずるくないよ。ほらもう、富士山見えなくなっちゃうよ

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物語食卓の風景・ワーキングマザー④

物語食卓の風景・ワーキングマザー④

 「郷土史サークルで、誰かと恋愛して駆け落ちしたとかってこと? まるで小説とかドラマみたいな展開ね」と亜衣。

「いやー、そんなはっきり言わないでよ。なんか気持ち悪い」と香奈子。

「だって香奈子、そう言っているも同然じゃない」

「まあねえ。だってね、お父さん、ずっと関西で育って関西から出たことないのよ。地元で育って、地元の学校へ行って、大学も近いし。結婚で一度駅近くのマンションに住んだけど、私

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物語食卓の風景・ワーキングマザー③

物語食卓の風景・ワーキングマザー③

 香奈子が亜衣に持ちかけてきた相談というのは、父が失踪したが、どうしたらいいかわからないというものだった。5月のテラスカフェの爽やかな空間にはそぐわないような重たい話。なぜ長く会っていなかった自分に、そういう相談を香奈子は持ちかけるのだろう、と思うが、ママ友にはそんな話ができないことは分かるので、たぶんふだん遠くにいるから私が選ばれたのだろうと思うことにした。

「夕方に電話があったから、とりあえ

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物語食卓の風景・ワーキングマザー②

物語食卓の風景・ワーキングマザー②

 亜衣が香奈子と会ったのは、近所にできたテラスカフェだった。5月は神戸が一番美しい季節だと亜衣は思う。住んでいた頃は気づかなかったが、東京に来てみると、意外に東西の気候が違うことに気づく。

 夏の関西の暑さが半端ない湿度だということも、夏に帰省するとびっくりする。東京でも十分蒸すと思っていたけれど、新大阪駅で新幹線のドアが開くと、途端にムーッとした熱気が吹き付けてくる。数日関西で過ごして東京に戻

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