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大谷翔平の結婚に・・・

世界一モテているといってよい大谷翔平さんが結婚したと大騒ぎですね。

不思議と“私が結婚したかったのに!”という思いを抱く人が多いみたい。世の多くの人々にファンタジックな夢を見させてくれていたことに、この人の別の力を感じました。

ですが、報道している番組をテレビで見ていて唯一がっかりしたのが、インタビューや番組司会者、コメントする人の、「(妻の)料理はどうですか?」「しっかり支えて」だとか、さらには愛犬の世話とか「これで野球に専念」とか。

著名人の結婚においてよく見聞きするこの手のコメントや質問――どのカップルにおいても、料理をはじめとする家事や「お世話」「支え」を全力で担当するのは妻、だと決めつけ、堂々とこうしたお決まりの言葉が投げかけられる。令和の時代になってもこれって何でしょうね?

――これを性別役割意識というんです。私はフェミニストカウンセラーなので、現在SDGsが言われるようになる以前から長年、この意識が象徴しているジェンダー・バイアスという大きな勢力・圧力と穏やかに闘っています。(非暴力主義で闘うイメージは、自分もだけど誰も傷つけたくない冷静で穏やかな抵抗と主張だと思います)

大谷さんの抜群の自己管理力は世界中の知るところで、その点も「すごいなぁ」と賞賛される要因だと思いますが、自分でなんでもやれて、それで充分奇跡のような実績を出している人に関して、お世話や支えの必要性を言われることに矛盾を感じます。これまでちゃんとやってきた人なのにね。

どう考えても、この状況でサポートが必要なのはむしろ彼女の方でしょう。新たな土地、文化、言語、人間関係、そして今までの人生から一転、個人としてよりも「大谷翔平の妻」として扱われるという生活。従来女性が結婚して経験することの多い男女不公平とステレオタイプな価値観による心理的負担に加えて、こうした特殊なストレス満載の状況なのですよね。これほどまでに素晴らしい夫と生活できる喜びの方が勝ることを願うものの、報道の場にいる人々はそういう観点には至らないのかな?と不思議に思います。

私が目にしたインタビュー風景の中で、唯一現地のアメリカ人(?)インタビュアーが、居住地が変わったことを彼女はOKだったのか?と投げかけていたことに、初めて彼女を夫と対等な一個人として扱っていることを感じて、日本との差を感じました。日本はやはりジェンダー平等劣等国なんだなぁと。

この話をいろんな人たちが同席している場でしたところ、年配男性たちは「へえー、そんなこと(料理やサポートを妻の役割と決めつけている違和感)全然気に留めなかった」と笑っておられました。そんな視点を私が今語ったので、どうぞ今後は知っていてください~と願います。

性別役割意識は一人ひとりが望む生き方を制限する威力を持っています。これに象徴されるジェンダーの価値観は、私たちの生活にあまりに溶け込み、なじみすぎていて気がつく人がまだまだ多くはない現在です。

ですが、実際にはジェンダー・バイアスは、家庭内や職業生活、人間関係に大きな影響を持ち、子育て困難やDV、性暴力、セクハラ、マタハラ、マリハラ等々、他にも広範囲の重大な社会問題を醸成している看過できない問題です。わが国の少子化の要因も、家事と子育ての負担が圧倒的に妻にかかっている場合が多いことにあるといえます。自分の意図は関係なく「こういうふうに行動し、考えるのが普通だ」と決められ、しかもそれを機嫌良く可愛げをもってやれ、と言われたらどう感じますか?

多くの女性が、学生時代までは感じてこなかったが、職場での扱いや、結婚したり妊娠・出産したりした後の生活で、こうしたジェンダーのアンコンシャス・バイアス(無自覚な思い込み・偏見)を経験しています。違和感を抱きながらも、明らかに不当だと拒否したり反論したりすることも、女性ジェンダーの「控えめ」であったり「柔軟」であることに反するため、ためらい黙する人が多く、状況は不当なまま悪循環になるんですね。

若い世代や子どもたちがつくっていく新たな社会に、ジェンダーによる不要な縛りやストレスを受け継がせないことをめざして仕事・生活しています。女性が生きやすい社会は男性も多様な性の人々もみんなが生きやすくなることに早く気づいてほしい。

これから少しずつそんな話をここにも書いていこうと思います。

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