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チャリダーアキの自転車世界旅行 オーストラリア一周編(7)


キンズリーとバオバブの木
 
 体調を崩した翌日も、西へ向かって自転車を漕いだ。キャンプ場で横になっていても具合が良くなるとは思えない。それよりも、1日でも早く西海岸へ辿り着きたい。そこから南下すれば涼しくなるはずだ。相変わらず雲1つ無い空、アスファルトの上は照り返しによる熱気で異常な暑さになっている。暑すぎて何も考えることが出来ない。ただ、
 
「南下すれば南極に近づくのだから涼しくなるに違いない。」
 
という、ざっくりとした考えだけが一縷の望みとなり、僕に自転車を漕ぎ続けさせた。この頃から、乾燥した大地を真っ直ぐに伸びる道の両側に、巨大なバオバブの木を見るようになった。
 バオバブの木は、太い幹の上部から四方八方に枝が伸びている姿から“逆さまの木”とも呼ばれている。その独特の姿は正直に言って、ちょっと薄気味悪さを感じさせる。
 乾燥したいつもの道は、いつの間にか見慣れない巨木の立ち並ぶ道へと変わっていた。体調不良で頭がボーッとしていることも手伝ってか、まるでパラレルワールドにでも迷い込んだかのように感じさせられた。
 
 ある日、バオバブの木が密集する休憩所に自転車を止めた。乾燥した大地で、どうしてこんなにも大きくなるのか見当も付かないけれど、多少日陰があってありがたい。乱立するバオバブの木に、いつも以上に異世界を感じながら食パンをかじっていると、1台の車が休憩所に入ってきた。
 
 古いアメ車から降りてきたテンガロンハットの男はキンズリーと名乗った。1人でオーストラリアを旅しているという彼と挨拶を交わし、バオバブの木の下で話しを始めた。年齢は50歳前後、無精髭のせいだろうか、旅慣れた印象を受ける。いずれにせよ、この位の年齢で一人旅をしている時点で訳ありなのかもしれない。
 自転車と甚平姿に興味を持ったのか、ただの暇つぶしなのか分からないが僕に色々と話し掛けてくる。僕は食パンにかじり付いては、それを気の抜けた炭酸水で胃袋へと押し流すという行為を繰り返しながら、彼との世間話をしばらく続けた。
 
「人生を楽しんでいるかい?」
 
 と、彼は問うてきた。
 
「楽しんでいるよ。」
 
「人は、この世界を楽しむために生まれてくるんだよ。」
 
「そうかも知れないね。」
 
「お金はあるの?」
 
「いや、ぜんぜん持ってない。」
 
「でも、楽しんでいるだろ?お金が無くても、人生を楽しむことは出来るんだよ。そう思わないかい?」
 
「そう思うよ。」
 
「お金を稼ぐことを人生の目的にする人が増え過ぎているよ。皆、頭がおかしくなってしまったんだ。娘はお金を稼ぐために都会でずっと働いている。彼女は頭がおかしくなったんだよ。生きる意味が分からなくなっているのさ。」
 
 僕は答えに詰まった。
 
「たぶんね。」
 
 とりあえず、そう答えた。
 
 
本当はどうなのだろうか?“人は人生を楽しむために生まれてくる。”というのには賛成だ。お金が全てでは無いとも思う。では、働いてお金を得る意味は?僕やキンズリー以外の大多数の人々の考える生きる意味とは?恐らく、世界の標準から考えると僕達の方が異端で、理解はしてもらえないのだろう。
 
(キンズリー、君の質問に僕は答えることが出来ないよ。僕自身が人生の迷子で、生きる意味が分かっていないのだから……。
そもそも僕みたいな人間に、生きる意味を語る資格なんてきっと無いんだよ。)
 
 

キンズリー撮影


 なぜだろう?時間が経過しても彼とのやり取りは、ふとした瞬間に未だに思い出してしまう。不気味なバオバブの木とキンズリーの笑顔がしっかりと脳裏に浮かび上がってくる。
バオバブの木の下で行った禅問答に、僕は未だに答えを出せないでいる。
 
 たぶん、答えを出さないことが僕の答えだ。

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