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海外出版の実態と可能性(1)―日本人の海外出版史

日本に「海外出版*」という言葉が未だ定着しているようには見受けられないが、私の仕事を通して、私の身の回りでは海外出版をしたいあるいは既にしたという人が確実に増えてきたのは間違いない。

*本稿では、「海外出版」を「海外の(特に英語圏の)出版社から書籍を(特に英語で)出版する行為」と定義する。本稿では、英語著作だけが取り上げられる。

マンガ/アニメ

広い意味の「海外出版」の範疇では、『ドラゴンボール』や『キャプテン翼』などの今日まで世界中で多くのファンを引き付け続けている「マンガ」/「アニメ」の海外進出は、1990年代に既に実現している。

1970年代にアニメ『キャンディキャンディ』がフランスに紹介され旋風を巻き起こしたことを考慮すれば、マンガ/アニメに関わる海外出版の歴史は既に50年相当あると見てよい。

文学

日本語著作の「翻訳」を海外出版に含めるとすれば、その歴史はさらに古いと考えてもよい。

例えば、夏目漱石の『吾輩は猫である』は、1906年に英語版 I am a Cat が夏目本人の監修により刊行されている。けれども、厳密には1972年に当時アメリカ資本の Tuttle出版から刊行されたことを考えれば、それも50年ほどの歴史と見做されなければならない。

確かに「海外出版」を広く解釈すれば、日本の産業に関わる海外出版は、既に半世紀程の歴史があると見てよいが、消費者個人レベルから見れば、その歴史は長くても同じくらいか、あるいは実質的にはもう少し浅い。

学術

おそらく、翻訳などの日本人が手掛けた作品ではない日本で活動する日本人による海外出版の最も古いものの一つは、国際法学者高橋作衛の Cases in International Law during the Chino-Japanese War (Cambridge University Press, 1899) であろう。今では超名門の一つとされる大学出版局から日本人学者が、19世紀に既に英語書籍を出版しているのは感慨深い。

続く1906年には、経済学者の服部文四郎が Local Finance in Japan in Relation to Imperial Finance (Princeton University Press, 1906) を出版している。これは服部自身がプリンストン大学に提出した博士論文ではあるが、当時の未発達で未整備状態の学術出版産業を考えれば、立派な書籍であると見做されてよい。

上に見たような出版史から見れば、学術出版が最も早く日本人の海外出版に着手したと理解することができる。

けれども、当時の日本は厳密な意味で消費社会に移行していないし、彼らが共に完全に特権階級にあり主に日本で活動していた状況を考えると、彼らの英語著作は大衆社会状況に表れた商業出版とはいえない。すなわち、私たちが考えているような「海外出版」は彼らの時代にはまだ存在していないのである。

個人の海外出版(商業出版)

では、日本人個人の海外出版というのはいつごろ始まったのだろうか?私の意見では、それはおそらく20世紀後半である。

例えば、国際政治学者の入江昭が1965年に早々と After Imperialism: The Search for a New Order in the Far East, 1921-1931 (Harvard University Press, 1965) を出版しているが、彼がハーバード大卒業後アメリカ国籍を取得し今日までアメリカで活躍していることを考えると、これは除外されるべきかもしれない。

一般書籍では、1977年に棋士の岩本薫が現在世界最大手の Penguin Random House の傘下にある Pantheon から Go for Beginners を刊行している。

1984年には、シャンソン歌手で作家の戶川昌子が同じくPenguin Random House の傘下にある Century出版から The Master Key のタイトルで『大いなる幻影』の英語版を出版している。

海外出版史は50年弱

以上のように、日本人の海外出版は、20世紀後半に始まったと考えるのが最も妥当である。

上に挙げた入江のような英語圏で活躍し続けている学者を除けば、海外出版に成功した人間の数は実際にはかなり限定される。この意味では、1970年代後半になって海外出版が盛んになってきたと見なければならない。

なお、英語圏の翻訳者を介した海外出版を除いたら、その数はさらに限定されることになる。すなわち、今日では医学・生物学・経済学などの一部の学術分野を除いて、海外出版は今なお「珍しい」と見做され得る。逆に言えば、これは、もし個人レベルで海外出版を実現できれば、商品としての自分自身を差別化することが容易いということを意味している。

それでは、個人レベルで海外出版は実現可能なのか、どうすれば個人の海外出版を実現できるのかを次回では考えてみることにしたい。


*本稿は、次号「海外出版の実態と可能性(2)―日本人の海外出版は難しいのか」に続きます。

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