自分が病んでいることを自覚するなら、癒しを望まないわけがありません
私たちはみんな病んでいる
コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)とはどういうものなのか?
というなら、それはまさに「心理学」であると言うことができます。
もちろん、コースは一元論(非二元)のスピリチュアリティであるわけですが、そのもっとも特徴的なところが「心理学」と融合しているところだといえるでしょう。
それというのも、そもそもコースは心理学者であるヘレン・シャックマンによってチャネリングされて書き取られたものであり、そこに心理学的な要素が反映されていないわけがありません。
コースが教えていること理解が深まっていくにつれて、その学びはスピリチュアルの探究というというよりも、まさに心理学に基づいた癒しについて学んでいるかのような感覚に感じられてくるといえましょう。
そして、実際に、その心理学的な見地から自分自身を観察していくならば、次第に分かってくるのが、自分は精神分裂を患っている精神疾患の症状とまったく同じ状態であるということが自覚/認識されていくことになります。
つまり、自分(の心)は病気(狂気)であることが自覚されていくということです。
もっといえば、それは自分だけにかぎったことではなく、この世界にいる私たち誰もが同じ症状で病んでいるということが理解/認識されていくようになります。
何を病んでいるのか?というなら、心が病んでいる、と。
つまり、心が分裂した状態になっていると。
心理学的にいえば、私たちはみんな精神疾患の状態になっているということです。
この自分も含めて、この世界に居る誰もがみんなそうであることが分かってくるということです。
そして、精神疾患のその症状は?
というなら、
幻覚を見て、その幻覚を信じている(実在化させている)ということです。
しかも、その自覚がないし、自分が知覚しているものを寸分も疑っていないのです。
それが幻覚、妄想であるにもかかわらず、です。
彼らは妄想癖があり、妄想の中の人や物や出来事のそれらすべてをすっかり信じ込んで、その妄想の中に入り込んでいる状態になっている、、、
それが私たちの状態なのだということです。
私たちは誰もがみんな病んでいるということです。
でも、私たちは自分が病んでいるとはまったく自覚していません。
自分の知覚しているものが妄想、幻想であるとはまったく思っていません。
なので、コースは、私たちがまさにその状態になっていることを自覚するように促してくれていると言うことができます。
ときに、真理、実相というものを一瞥する人もいたりします。
彼らは、「自分は悟った、自分は目覚めた」と、ノンデュアリティのスピーカーとして、この世界の夢の中で主張しはじめたりします。
でも、結局は、真理をこの幻想世界の中に持ち込んで、狂った者たち(T-13.In.2:2-3 )の妄想劇の中に入り込んでしまうわけです。
そんな彼らですらも、やはりこの世界に居る私たちと同じく「罪悪感により狂ってしまった者たち」に変わりないということです。
この世界の夢(妄想)を見ているということでは、まだ癒されてなどいないということです。
私たちは皆、病んでいるというです。
ならば、私たちには癒しが必要なのだということです。
そんな私たちが癒されていくには、治癒されていくには、つまり、正気に戻るには、どうしたらいいのでしょう?
というなら、「私は病んでいる」「私は狂っている」と認識していくこと、自覚していくこと、、、そこからしか、癒しのプロセスははじまらないということです。
私たちはすでに幻覚、妄想を信じ込んでしまっています。
その自分には癒しが必要なのだということを自覚/認識するならば、いよいよ本格的な癒しの旅がはじまることになるといえましょう。
そう、その癒しのための実践的手段が、「赦し」です。
赦しを実践していくことによって、知覚が訂正され、知覚が癒されていくことになります。
それは、自分が知覚しているものすべてが幻覚、妄想であるということを体験的に学んでいくプロセスだと言うことができましょう。
それを「目覚め」と呼んでいます。
なぜ、赦しを実践していくのか?というなら、その目的以外の何ものでもありません。
そのためには、自分には赦し、癒しが必要なのだということ自覚していくことが必須だといえましょう。
自分は病んでいることを自覚するならば、自分は病んだ精神疾患者だと認識するならば、自分には癒しが必要だと望まないわけがありません。
ですから、その自覚というものがいかに重要か!ということです。
コースを学ぶということは、自分たちが今や病んだ状態になっていることを自覚するため、ということでもあるといえます。
そういう意味で、コースは「心理学」であると言うことができるわけです。
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