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自分だと信じている自分それ自体が、まったくのデタラメなのだということ

自分は、本当の「自分」ではない

コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の学びが深まっていくにつれて、「自分は何も分かっていない」ということがますます自覚されてくることになります。

自分が誰なのか?
自分は何をしているのか?

そのことがまったく分かっていないどころか、

自分は今や狂っている(病んでいる)ということが自覚/認識されていくことになります。

そのことはコースを学んでいく上で私たちがもっとも認識しなければならないことだといえます。

なぜなら、そのことを認識しないかぎり、私たちはその狂気の自分(自我)から解放されようとは望まないからです。

自分だと思っている自分は自我です。

そのことを自覚/認識していくことによって、私たちは自分だと思っている自分(自我)を放棄することを望むようになります。

その自覚/認識こそが、自我から解放されるための絶対不可欠なわけです。

にもかかわらず、私たちは自分のことなどまったく分かっていないのです。

自分が誰なのか?何をしているのか?まったく分かっていません。

自分だと信じている自分それ自体がまったくのデタラメであるのに、です。

真の自己は、自分だと信じている自分とはまったく関係なく、この今もただ在り続けています。

その真の自己(真のアイデンティティー)を思い出していくことがコース学習者の私たちが目指しているものだといえましょう。

コースの教えを学び、そしてその教えに基づいて実践していくならば、自ずと真のアイデンティティーが自覚/認識されていきます。

自分はこの世界の夢を「夢見ている者」であると自覚/認識されていくと共に、その考え方(思考体系)も、その知覚も、以前とはまったくちがうものになっていきます。

コースの学びが深まっていけばいくほど、そうなっていきます。

そのために私たちは、「自分は何も分かっていない」ということを認識していくことが求められています。

それが、「一歩下がる、一歩退く」という実践です。

自分は本当の自分(真の自己)ではないということを受け入れていくということです。

自分はいない。
自分は、この世界にはいない。

個別性、特別性、個人性を持つこの自分は、まったくのデタラメだと。

それは、個別の自分の非実在性だけでなく、無意味性、無価値性を受け入れていくということでもあります。

そういう意味で言っても、このコースはとんでもなくラディカルな霊性の道だといえましょう。


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