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あなたはいつまで無知なままでいるつもりですか?
自分で自分を無知な状態にさせている
この世界のものすべては必ず、壊れ、そして移ろい変わりゆくものとしてしか存在できないようになっています。
永遠なもの、恒久的なものなど何一つないのが、この世界の法則です。
そして、それが私たちが知覚している世界です。
この世界は恒常的ではないからこそ、そのすべてが真理ではないこと、つまり、実在しないことの証拠でもあるわけです。
それを、「無(nothing)」と呼ばずになんと呼ぶのでしょう。
この世界とはそういうもだと、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)は教えてくれています。
そして、それが非二元のスピリチュアリティの教えなわけです。
ここで私たちがよくよく理解しなければならないのは、そうであるにもかかわらず、私たちはその世界の中に今も自分たちは居る(生きている)と信じているということです。
この世界は「無」であるにもかかわらず、私たちはこの世界を「現実」だと信じて疑いません。
特に、コース学習者やノンデュアリストたちは、「この世界のすべてが幻想である」ことを知っているわけです。
であるにもかかわらず、この世界をそのようには見てはいません。
それが何を意味するのか?
というなら、そのようにして私たちは自分が何者なのか?を忘れさせたままにして、自分で自分を無知な状態にさせているということです。
「この世界は実在していない幻想なのだ」というのが、非二元の教えやコースの教えであるわけですが、
私たちはどれくらい本気でそう思っているでしょうか?
もし本気でそう思っているのだとしたなら、あなたは日々をその学びと実践に勤しんでいることでしょう。
そうでないなら、あなたはまだ学びが足りていないということです。
そんなあなたはいつまで無知なままでいるつもりなのでしょう。
コース学習者やノンデュアリストたちの中で、どれだけの者たちがそのことを自覚/認識していることでしょう。
無知なままでいることがいけないわけではけっしてありません。
ただ、その代価(代償)を知るようになるなら、無知なままでいることをけっしてOKとはしなくなるでしょう。
そして、その学びと実践はより妥協のないものになっていくことでしょう。
そうでない私たちは何も分かっていないのだと言うことができます。
そのことを自覚/認識していくことはとても大事だといえます。
無知なままでも平気でいられるのであるならばそれでも全然かまわないということです。
でも、そうでないならば一歩一歩の学びを進めていくほかない、それだけのことです。