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もりGさんとコースを学ぶということについて

先日のACIMアカデミークラスの紹介記事にちなんで、その続きです。


学びの深化は、今も尚、進行中です

私(もりG)は、2024年現在、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の学びと実践で自ら体験的に理解したことや体現したことをアカデミークラスや個人セッションを通してシェアする活動をさせていただいております。

ここで申し上げておきたいのは、この私自身もコースを学んでいる生徒(学習者)であるということです。

ですから、アカデミークラスや個人セッションで私(もりG)と共に学んでいくにおいては、そのことをわきまえておいていただきたいのです。

私がコースについて語るとき、そして、コースが教えていることについて語るとき、それはあくまでもその時点における理解のシェアであるとして受け取っていただきたいということです。

私自身、その学びの深化は、今も尚、進行中だということです。

なにせ、この学びは、その壮大さやスケールの大きさをけっしてあなどれないということです。


本当の「学び」は、個人的な実践体験の中でしか学ばれていかない

そしてもう一つ、もりGさんと共にコースを学んでいくにあたって、あらかじめわきまえておいていただきたいことは、コースの学びは自らの実践を通してしかその学びは深化していかないということです。

つまり、本当の「学び」は、個人的な実践体験の中でしか学ばれていかないということです。

そして、それが「自学自習」の本当の意味であるといえましょう。

誰かがあなたを目覚めへと連れて行ってくれるわけではないということです。

とは言いましても、コースの教えを実践している先達の言葉がとても有益であることは言うまでもありません。

私にとっては、それがワプニック博士だといえます。

彼が語る言葉には、コースの実践をしていってこそ分かってくること、学ばれることはたくさんあります。

いくらコース形而上学を理解したとしても、それが知的レベルに留まってしまって、実践によって訓練されていかないならば、せっかくの純粋な非二元のスピリチュアリティ(霊性の道)であるはずのものが台無しになってしまいかねないということです。

あるいは、コース形而上学にあまりに囚われすぎて、コースにがんじがらめになって、二元性を超えていくはずの霊性の道が、いったい何のための学びなのか?その目的がまったく的外れな学びになってしまうケースもよくあります。

そういうことについて私たちは十分に警戒していく必要があるといえます。

もう一度申しますならば、コース学習の歩みは、個人的な実践体験を通してしか学ばれていかないということです。

そのことをご理解のうえで、私(もりG)が提供するさまざまなものをあなたのコース学習の歩みにお役立ていただけたら幸いです。


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