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この世のものを超えて、ヴィジョン(心眼)を開いていくための方法

可能なもっとも高尚な考え

コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)は、「別の知覚の仕方がある」ということを思い出していくことの重要性(必要性)について述べています。


別の知覚の仕方があるという信念は、自我の思考に可能なもっとも高尚な考えである。(T-4.Ⅱ.4::10)

奇跡講座/中央アート出版社


コースの観点からみるならば、自分だと信じているその自己(self)が自我(非実在/嘘)であるならば、当然、自分が見ているもの、聞いているもの、感じているもの、経験しているもの、それらすべても嘘ということになります。

そのすべてが嘘であるならば、ならば、真実とは???だから、真実が見たい!というふうになるといえましょう。

そうなるとき、別の知覚の仕方がある、という考えを取り入れていくようになります。

そう、それが私たちに求められていることだということです。


なぜなら、その考えには、自我は自己ではないという認識が密かに含まれているからである。(T-4.Ⅱ.4::11)

奇跡講座/中央アート出版社


それは、自分(自我)は非実在であることを受け入れることを意味します。

私たちが「別の知覚の仕方がある」という考えを取り入れていくとき、それはつまり、「自分だと信じているその自己は、自我なのだ」と認めるということであり、それこそが、「もっとも高尚な考え」なのだとコースでは教えてくれているわけです。

そう、「別の知覚の仕方がある」としていくとき、これまでとはまったくちがった別の知覚が見い出されていくことになります。

それは、それまでとはまったく別の視野が開かれていくことになります。

いわゆる、「ヴィジョン(心眼)」が開かれていくということです。

それは、これまで私たちがまったく忘れていた知覚(視点)です。

その知覚は、すべてを俯瞰したところから見ている視点であり、しかも、そのすべてが虚偽である、というふうに見えています。

それを、コースでは「奇跡」「赦し」と呼んでいて、その知覚をコースでは「赦しのまなざし」「聖霊のまなざし」と呼んでいます。

コース学習者の私たちは、その知覚を修得していくことを目的に訓練していると言うことができましょう。

その訓練によって、同時に、そこから見ている者(主体)こそが真の自己(真のアイデンティティー)であるという自覚/認識ももたらされていくことになります。

つまり、「知覚のシフト」と「真のアイデンティティーへのシフト」は同時に起きていくということです。

それは、肉眼で見ているものを超えていきますし、この世のものを超えていくことを意味します。

そう、そのための具体的な方法が、「別の知覚の仕方がある」という考えを受け入れていくことなのだということです。

それは、自分の考えの一切を放棄するということでもあるということを知っておくと良いでしょう。


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