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どのようにしてこの時間と空間から脱出していくのか?


「今」にいない私たちの思考

自分の思考を観察すれば、その思考はいつも過去か未来かのどちらかに飛んでばかりいて、今(現在)にいないことが認識できます。

常に、過去か未来かのイメージ(思考)にとらわれているといいましょうか。

そう、時間の中に入り込んでしまっている自分に気づくわけです。

「時間の中に入り込む」とはどういうことなのか?

というなら、つまりは、あたかも過去から現在そして未来へと時間が流れているかような錯覚に陥って、自分はリニアな時間軸上に生きていると信じてしまっているということです。

留まることのない思考によって過去と未来を行ったり来たりすることで、それによって、今この瞬間の「いまここ」が忘れられてしまっているのです。

ただ在り続けている本当の自分(真の自己)が忘れられてしまっています。

そう、本当の自分は時間の外、つまり、時空を超えたところ(いまここ)にいるにもかかわらず、私たちは、時間軸上に自分はいる、つまり、この世界の中にいる、と錯覚を起こしてしまっているわけです。

そうなってしまうとき、もはやその自分は肉体と同一化してまっています。

コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座奇跡のコース/奇跡講座)の学びが深まっていくと、次第に、そのことが認識できるようになっていきます。

そして、そのことを認識している瞬間こそが「聖なる瞬間」と呼ばれ、つまりは、聖霊(正気の思考体系)と共に眺めている瞬間であるといえます。

また、それをノンデュアリティの言葉で表現するなら、「アウェアネス(気づき)」を自覚している瞬間だといえます。

アウェアネスとは、

自我に気づいている状態ともいえますし、

自分とは何者であるか?
自分はどこにいるのか?
自分は何をしているのか?

そういうことにはっきりと気づいている状態のことを云います。

そういう意味で言えば、私たちがしていく実践は、そのアウェアネス(気づき)へといつも戻っていく訓練をしているのだと言うことができます。

コースでは、それを「自我を聖霊のもとに運ぶ」「聖霊を教師とする」というふうな言い方をします。

コースの学びが深化していくとき、

自分とは何者であるか?
自分はどこにいるのか?
自分は何をしているのか?

その真実を思い出すきっかけとして、私たちはこの時間と空間を使っていくことができるようになっていきます。

いわゆる、「心」の自分を思い出す「心」に戻る、そのためのレッスンの場として、つまりこの時空の世界を「教室」として捉えるようになるということです。

そう、

コースの実践で何をしていくのか?

というなら、「赦し」という手段を通して、時空の外側からこの世界の夢を眺めている「心」の自分を思い出すことをしていくのだということです。

「心」の自分こそが、私たちの真のアイデンティティーであるわけです。

「心」の自分を完全に思い出すこと、それがコース学習者の私たちが目指しているゴールなのだということを覚えておきましょう。

そして、コースではそれを「贖罪」と呼んでいるということも覚えておくと良いでしょう。


これは今この瞬間へと帰って行く訓練である

私たちはどのようにして「心」の自分を思い出していくのでしょう?

それは、コースの「赦し」の実践を通して、「いまここ」に戻っていく訓練をしていくことによって次第に思い出されていきます。

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