サイキックとチャネリングについて
誰もがサイキックであり、誰もがチャネラー
私たちはスピリット(霊)、つまり、霊的な存在なわけです。
そういうことで言うならば、私たちは、誰もがサイキックであり、誰もがチャネラーであると言うことができます。
それは、自覚しているしていないにかかわらず、私たちはそのような存在であるということです。
それが何を意味するのかというと、私たちは単なる肉体としての生き物なのではないということです。
自分たちとは何者なのか?
私たちはその真実をすっかり忘れてしまっています。
そして、この肉体を自分だと信じています。
そして、この肉体の自分が、自分の意志で考えて、決断して、行動していると思っています。
もっと正確にいえば、この肉体の自分の頭脳が考えて、思考して、その自分が言葉を発して、自分が行動している、と信じています。
ですが、じつのところ、それはまったくの勘違いなのだということです。
その「自分」などいないのです。
考え/思考というものは湧き起こっているだけで、それを「自分が思考している」というふうに勘違いしているだけです。
湧き起こってきている思考こそが、じつは、チャネリングを受け取っているということです。
そう、私たちは誰もが、じつはチャネリングしているのであり、誰もがチャネラーなわけです。
ただし、どこからチャネリングしているのか?そのソース(源)は何か?
私たちが重要視すべきなのは、そのチャネリングのソース(源)なのだといえましょう。
思考はどこから沸き起こっているのか?について、私たちはまったく分かっていないのが問題なのだといえましょう。
そのソース(源)こそが、コース(奇跡のコース/奇跡講座)で「心」と呼んでいるものなわけです。
ちなみに、コースで言う「心」は、個人的な心(頭脳)とまったくちがいます。
それは、個人を超えたものであり、この時空を超えたものであり、この宇宙物理空間の夢を作り出した存在そのものなのだということです。
そう、その「心」が私たちを突き動かしているということです。
ノンデュアリティのスピーカーさんたちがおっしゃるように、「私」という個人の自分などいません。
個人の自分と思っていたものは、ただのフィギア(夢のキャラクター)にしかすぎません。
そして、この世界の夢の舞台の中で、すべてはただシナリオ通りに起きることが起こっているだけです。
ようするに、誰がそのキャラクターを思考させ、突き動かしているのか?というなら、
それは「心」であり、
その「心」こそが、じつは私たちの真のアイデンティティーなのです。
私たちは「心」が作り出したすでに決まったシナリオで突き動かされているだけです。
それを「自動思考」と呼んだりしています。
私たちは誰もがその「心」であるソース(源)からチャネリングしながら言葉を発したり、行動しているということです。
それは、誰もがみんな、です。
ガイダンスには要注意!
上記でも述べたように、個人の「私」という存在がいるのではありませんし、「私」が思考し、「私」が行動しているのではないということです。
私たちは一なるものである「心」からガイダンスを受け取っているだけであり、そのガイダンスにただ突き動かされているだけなのです。
ただし、そのことに加えて、コース学習者の私たちが知らなければならない大事なことがあります。
それは、チャネリングしているガイダンスのソース(源)、つまり、「心」が間違った(狂った/病んだ)状態になっているということです。
それゆえ、今や、私たちがチャネリングしているガイダンスが狂った(自我の思考体系からの)ものとなってしまっているということです。
というのも、そのガイダンスのほとんどが、分離の象徴である「肉体」の自分が実在しているというのが前提になっており、つまりは、分離(二元性/自我)の思考体系に基づいたものであるからです。
その結果、私たちは「肉体」と同化して、個人の自分として存在しているかのように錯覚しているわけです。
それだけでなく、この世界で最終的に自分は死ぬという(神の子ではあり得ない)経験をすることになっているのです。
私たちがそのことをしっかり自覚/認識していくならば、その「心」を訂正していくことができるようになっていきます。
そのとき、私たちは正しい「心」(正気の思考体系)からのチャネリング(ガイダンス)を受け取るようになります。
正しい心からのチャネリング内容は、すべて一貫しています。
「私たちが見ているもの、知覚しているもの、経験しているものはすべて夢(幻想)であり、すべて実在していない」
というメッセージの内容で、そこに一貫性をもって語りかけてくるようになります。
それとは対照的に、間違った心(自我の思考体系)からのそのメッセージには一貫性がありません。
そこにはチャネリングの質の違いや波動のレベルの違いというものがあります。
私たちが理解しておかなければならないのは、それがどんなちがいがあったとしても、そのメッセージ内容が肉体レベル/形態レベル/行動レベルに関するガイダンスであるなら、そのどれもが自我(二元性/分離)の思考体系からのものであるということです。
たとえそれが、どんなに崇高で高次であるかのようなメッセージであったとしても、です。
この世界は実在しないし、この世界の中にいる私たちの肉体も実在していないのですから。
そうであるにもかかわらず、そのメッセージが肉体レベル/形態レベル/行動レベルに関するガイダンスであるとしたなら、間違った心(分離の思考体系)からのものであることは明らかです。
とくに、一元論のスピリチュアリティの霊性の道を歩むコース学習者であるならば、私たちはそのことに注意深く警戒していくことが求められます。
そう、このコースは、原因についてのコースであるということを忘れてはなりません。
このコースは、すべてが心について述べられているということをしっかりわきまえて学んでいきましょう。
逆に、コースをこの世界のレベルと混同してしまうならば、分離(二元性)の思考体系を超えていくこともなければ、目覚めていくこともけっしてないということを肝に銘じておきましょう。
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