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コースの実践として、この世界で何か行動していくことはあるのでしょうか?


実践はすべて心のレベルで行われるものである

コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の実践として、この世界で何か行動していくことはあるのか?

というなら、

コースの実践は行動や形態とは一切関係がありませんということです。

つまり、実践として何か行動しなければならないことなど何も無いということです。

そのことについては、多くのスピリチュアリストが混同してしまっていますし、コースの学習者もそうだといえます。

コースは心の訓練をしていく霊性の道なのだということを忘れないでおきましょう。

私たちがコースでしていく実践はすべて、心のレベルにおける訓練(トレーニング)なのだということです。

もし、何か形態における行動のことを実践だと称しているとしたなら、それは明らかに歪曲したコースの実践をしていると言うことができます。

だとしたなら、もはやそれはコースではありませんし、コースの教えではない実践をしているといえます。

私たちは、行動や形態といったレベルを超えて自由になっていくためにコースを学んでいるのだということです。

コースは、この世界における形態や行動については一切述べられてはいないということをしっかりわきまえておきましょう。

この世界で何をしていようが、どんな行動を取ろうが、そういうものと真の自己(アイデンティティー)とは一切関係ないということです。

コースの教えはそういうものであるにも関わらず、コースの実践をこの世界における形態や行動と混同してしまうことはよくあることで、とくに、コースの学びがまだ浅い段階においてや、あるいは、コースをよく理解していない学習者がそうしてしまうということを知っておくと良いでしょう。

コースではそれを「レベルの混同」と呼んでいますが、それはコースを学ぶ私たちにとって最も注意すべきことだといえます。

この世界の中で何か行動していく活動していくということなど、コースの実践ではけっしてないということです。

何度も申しますが、コースは心のレベルにおいてのみにアプローチしていく訓練であるということです。

では、コースの学習者は、この世界の形態や行動においてはどのような生き方、在り方をしていくのか?

というなら、普通の常識的な社会人として、みんなと同じように日々を暮らしていくということです。

そして動揺したなら、それを実践の機会と捉えて、心のレベルにおいて自分の内側で、心の訓練をしていくだけです。

世界の中で日々起きていく出来事や、人々の言動に対して動揺したならば、それを実践のきっかけとしていくだけであって、そういったこと自体について、従来のスピリチュアリティのようにスピリチュアルな意味付けをしたりすることもしません。

つまり、宗教性や精神性(スピリチュアル)をコースの実践に持ち込んだりはしないということです。

正しいコースの実践をしている者は、見た目は、みんなと何ら変わらない生活をしているということです。

とはいえ、正しいコース実践者である彼らは、何らみんなと変わらない普通の生活をしながら、その内側は普通の人たちとはまったく異なる在り方をしていると言うことができます。


形態レベル、行動レベルはどうでもいいのか?

コースの実践は心のレベルにおいて訓練していくものであり、形態レベルや行動レベルとは一切関係がないわけです。

だからといって、形態レベルや行動レベルのことはどうでもいいということではありません。

形態レベルにおいては、必要に応じて必要な行動をしていくのは普通一般のみなさんとなんら変わらないということです。

コースの実践において大事なのは、

この世界の形態をどちらの教師と共に見るのか?
どちらの教師と共に行動するのか?

それが私たちにとって求められていることなのだということです。

そして、私たちが学ばなければならないのは、その選択による褒賞と代償について、です。

片や、平安、幸せ、喜び、、、夢からの解放、、、をもたらし、
片や、恐れ、不安、苦痛、苦しみ、、、夢への埋没、、、をもたらす

ということをりかいするようになるならば、誰だって前者のほうを選ぶようになるといえましょう。

コースが重要としているのは、心の状態なのだということです。

ですが、私たちは通常、形態や行動をとても重要視しています。

それがどういうことかというと、恐れ、不安、苦痛、苦しみ、、、といったもののほうを選んでいるということです。

それよって、さらに、この世界の夢を実在化させて強化していっているのです。

それが今の私たちの状態だと言うことができます。

もはやどちらの教師と共に見るのか?その選択肢すらも見失って分からなくなってしまっています。

コースでは、それを「心を忘れた状態(マインドレスネス)」と呼んでいます。

私たちはすでに自我を教師としている状態であり、その状態でいくら最善の解決策を取ったとしても、真の解決にはならないどころか、そうすることはただ自我にパワーを投入することになるだけです。

この世界にいる私たち誰もがみんな、そういう状態になっているということです。

自分が何者なのか?
自分はここ(この世界)で何をしているのか?

それがまったく分かっていない状態になってしまっています。

その状態では、もはや、真の答えも解決法もありません。

たとえ解決したとしても、解決したかのように見えるだけで、何の解決にもなってはいません。

ですから、このコース学習者の私たちがしていく実践は、真の原因に戻って、真の原因を訂正していくことなのだということをしっかり覚えておきましょう。


これは原因についてのコースであり、結果についてのコースではない。(T-21.Ⅶ.7:8)

奇跡講座/中央アート出版社


私たちが理解しなければならないのは、形態レベルでの行動は何の意味もなさないということです。

コースは、結果のレベルを扱うのではないということです。

コースの実践は、この世界における形態や行動とは一切関係がないのだということです。

ただし、何度も言いますが、形態レベルや行動レベルはどうでもいい、何もしなくていいと言っているのではありません。

形態レベルや行動レベルを重要視させようとしている自我の力動(誘惑)に気づいていなさいということです。

私たちがしていくことは、この世界(形態や行動)を超えて、原因(心)に戻っていくことなのです。

原因に戻らないかぎり、真の訂正がなされることはありません。

それが、「赦し」というものです。

これは、原因についてのコースです。

この世界で起きていること、この人生で起きていること、自分が体験していること、、、

そのすべてが嘘(影/投影)なのだということを学んでいかないかぎり、どうやってこの世界の幻想から自由になることができるというのでしょう。

コースは、そうなっていくための手段がしっかりと示された道だといえます。

その目的を見誤るなら、その手段すらも見誤ってしまうことになります。

コースの実践を、形態や行動と混同しないことです。

原因(心)を訂正していくことが私たちがしていくことなのです。

私たちは、そのためにコースを学び、コースを実践しているのだということをしっかりと肝に銘じて学びと実践を励んでいきましょう。


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