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神聖になろうとするのではなく、神聖さはそこにただ在るものです

コースをスピリチュアライズすることについて

コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学んでいこうとしたとしても、なにせ、コースが教えている内容がとても難解なわけです。

それゆえに、コースの学びのプロセスにおいて、何のためにコースを学んでいるのか?その目的を見失って迷走しまうことはよくあることだといえましょう。

特に、自分は真面目なコース学習者であり、神聖なコース学習者だと思っているコース学習者やコース・ティーチャーほど、コースにがんじがらめになって、それが何のためのものなのか?分からなくなってしまっているケースはよくあることです。

コースを、あるいは、コースのイエスを「神聖なもの」としてスピリチュアライズ(スピリチュアル化)してしまうわけです。

そうなると、もはや一元論のスピリチュアリティの歩みから逸脱して、コースの信奉者になっていたりするわけです。

ようするに、一元論のスピリチュアリティを体現していく道であるはずのものが、けっして目覚めていくことのない二元性のスピリチュアリティに成り下がってしまうということです。

コースをスピリチュアライズ(スピリチュアル化)することがまさにその典型的な例です。

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コースをもっと深く理解していきたい方へ。コースの学びが進んでいくとどうなっていくのか?というテーマで、もりG自身が体現した実録レポートとして、一般には公開できないDeepな話が書かれているコラム集です。

コース(奇跡のコース/奇跡講座)の学びと実践を通して、非二元、真理、悟り、解脱を目指しているコース学習者のためのマガジン。

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