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「出家」の意味、「この世界からの脱却」の意味
出家について
真理を探究する者たちがもっとも陥ってしまう間違いが、「レベルの混同」だといえましょう。
「レベルの混同」とは、霊性の道の訓練(修行)は心のレベルでなされるものであるにもかかわらず、物理的(肉体的/身体的/行動的)なものと混同するということです。
例えば、精神修行のために、肉体を痛めつけることをしたり、この世界から離れ、実際に出家するとか、修道院に入るとか、人里を離れるとか、そういうことになってしまうわけです。
つまり、言葉や、行動や、環境、肉体などを「正す」ことにフォーカスすることによってレベルの混同を起こしてしまうのです。
ここで、私たちが覚えておかなければならないのは、この世界の物理的(肉体的/身体的/行動的)なことに関するそれらはすべてこの世界に属するものだということです。
この世界に属するものは、私たちの心が投影した影(結果)にしかすぎません。
つまりは幻想であるにもかかわらず、幻想を変えようとしているにすぎないということを分かっていないわけです。
それらは無意味、無益なものであるにもかかわらず、そのレベルで訓練(修行)しようとするということです。
でも、そもそもがこの世界は実在していないのです。
「無」です。
そうであるにもかかわらず、私たちはつい、肉体的な修行や行動や形態といったものを重要視するということです。
コース(奇跡のコース/奇跡講座)の学びと実践をしていく上で、私たちはそのことについて理解しておく必要があります。
つまり、「レベルの混同」をしないように、十分に警戒すべきだということです。
このコースは心(のレベル)においてなされていくべきものであるということをけっして忘れないようにしましょう。
この訓練(実践)は、この世界に属するものとは一切関係がないということです。
私たちが重要視すべきなのは、心のほう、つまり、原因のほうなのだということです。
その原因のほうにアプローチしていかないかぎり、何の意味もなければ、何の解決にもならないということです。
例えば、レベルの混同を起こしている場合、この世界を放棄しようとして俗世間を離れて「出家」したり、就いている仕事を辞めたり、家庭を捨ててそれらしきコミュニティに入ったり、ということをするわけです。
その他、断食、さまざまな欲の節制など、肉体的(身体的)な修行、訓練についてもまったく同様なことがいえます。
私たちが学ばなければならないのは、この世界から自由になろうとして、いくら言葉や、身体、行動や、環境といったものを変えていったとしても、それが私たちをこの世界から自由にさせてくれるわけではないということです。
それは、身体、形態、行動とは一切関係がないということです。
私たちが求めているものは、この世界のこと、ものとは一切関係がないということです。
これは、心(原因)のレベルで訓練されていくものなのです。
”これは原因についてのコースであり、結果についてのコースではない。”(T-21.Ⅶ7:8))
コース学習者は、この世界とどのように関わっていくのか?
では、コースでは、この世界とどのように関わっていくのか?
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