見出し画像

真実を知らない(忘れている)からこそ、私たちは深刻になるのだ

もう一つの選択肢があることを思い出すなら

私たちがこの世界を眺めるとき、自分たちが見ている知覚とはまったくちがう別の知覚の仕方があるのだということを、私たちは忘れたままになっていると言うことができます。

でも、私たちが「別の見方がある」ということ、つまり、もう一つの選択肢があるということを思い出すなら、私たちは深刻になる必要はないと分かります。

なぜなら、そうなるなら、自分には選択の自由があることを思い出すことになるだけではなく、もっといえば、自分からあえて深刻になりたがっているのを自覚/認識することができるようになるからです。

その真実を知らない(忘れている)からこそ、私たちは深刻になるのだということです。

その選択肢にいる自分を、コースでは「心の決断の主体」と呼びます。

その選択肢にいる自分(真のアイデンティティー)を思い出していくための実践的手段が、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)で「赦し」と呼んでいるものです。


実在するものは脅かされない。
実在しないものは存在しない。
ここに神の平安がある。(T-In.2:2-4)

奇跡講座/中央アート出版社


平安か?深刻さか?

そのどちらかを自分で選んでいるのだと自覚/認識しているならば、果たして深刻になることなどできるでしょうか?

自分が誰なのか?何をしているのか?

その真実を忘れているから問題なのです。

要は、

自分とは何者なのか?
自分は何をしているのか?
自分はどこにいるのか?

ということを自覚/認識していくために、私たちはコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学んでいるのであり、赦しの実践をしているということです。

コースを学んでいるその目的は何なのか?

自分たちは、この世界の夢を超えて、個人の自己を超えて、ワンネスなる真の自己(真のアイデンティティー)を思い出して(目覚めて)いくことを目指しているのです。

その目的をしっかりわきまえてコースの霊性の道を歩んでいくのはとても重要だといえるでしょう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?