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なぜ私たちは真の解決を求めようとしないのでしょう?

自分なりのやり方で解決しようとする私たち

解決を求めているにもかかわらず、解決のないところでいくらそれを求めても、解決が与えられるはずがありません。

本当に真の解決を求めているならば、解決のあるところに求めなければならないのは、当然のことです。

ワプニック博士は、そのことについて以下のように述べています。

「もし私たちが真に誰であるかを思い出したいならば、何十年もセラピーに通ったり、最近のスピリチュアルや心理学の流行に助けを探すべきではありません。それらの魔術の形態はどれも誤りであり、もしそれが心への正しい方向性へと導くのを助けるとしても私たちが本当に真の自己を見つけたいならば、聖霊と共に内側に向かい解決のあるところに求めなければなりません。」

ー『Journey through the Text of A Course in Miracles』第3章よりー

私たちはこの世界で何をしているか?

というなら、真の解決などないところで解決を探すことに夢中になっているということです。

そのようにして、私たちは人間関係、仕事、お金、健康といった様々な問題を抱えては、それらを解決することに追われ続けているといえます。

さらにいうなら、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)が真の解決のあるところを教えてくれているにもかかわらず、

私たちはコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学んでいたとしても、それでも真の解決に答えを求めようとはしないのです。

なぜ、真の解決を求めようとしないのでしょう?

というなら、それは「自分は分かっている」という考え(信念)がそうさせるのだといことです。

その考えが、真の解決を阻もうとするわけです。

その自分は解決法が分かっていると信じていますし、その自分はそれによって解決がもたらされる、解決できると信じているのです。

ようするに、自分なりのやり方で解決しようとするわけです。

たとえば、コースを学んでいるとしても、それでもコースの教えよりも「自分の考えのほうが正しい」と信じているのです。

私たちは、どこまで無知なのでしょう。

その無知さ、愚かさ、狂気さを認識しないかぎり、私たちは偽の解決を求めることに夢中になっているのを止めることなどできるはずがありません。

つまりは、その自分こそが自我なのだと認識していくことが、コース学習者の私たちに求められていることなわけです。

今すぐ自分自身の教師の職を辞しなさい。(T-12.Ⅴ.8:3)

なぜなら、あなたは間違ったことを教わったからである。(T-28.Ⅰ.7:1)

奇跡講座/中央アート出版社

自分が今幸せでないなら、自分が何か間違っているのだということです。

そのことを受け入れるとき、この学びははじまるといえますし、それこそが真の解決のはじまりだと言うことができるでしょう。


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