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ここから先は、言葉はあまり意味をなさなくなる

聖霊にただ委ねればいいというものではない

「聖霊に委ねる」「聖霊に明け渡す」と言うとき、

コース(奇跡のコース/奇跡講座)学習者はその言葉通りに実践しようとするわけですが、その意味を理解しておくことはとても大事だといえます。

実際のところ、その実践は聖霊に丸投げしてただゆだねていればいいということではありません。

聖霊に委ねる、聖霊に明け渡すとは、

聖霊に価値判断を委ねる、
聖霊に価値判断を明け渡す、

ということを意味します。

私たちは何が最善なのかまったく分かっていないわけです。

もっといえば、

何が自分に平安や幸せをもたらし、何が自分に苦痛や苦しみをもたらすのか、その識別法がまったく分かっていないということです。

ようするに、私たちは価値判断することなどできないのであって、だからこそ、自分は何も分かっていないことを受け入れることが私たちに求められているのであり、コースではそれを、「聖霊に委ねる/聖霊に明け渡す」という言い方の表現をしているということです。

そしてさらに、私たちが覚えておかなければならないことがあります。

ワプニック博士はそのことについて次のように解説してくれています。

「聖霊に委ねるとは、自我を聖霊のもとに運ぶということです」と。

つまり、それが意味するのは、

「自我を聖霊と共に見る」つまり、「自我を正しい心の視点から見る」

ということです。

ようするに、見る(直視する/正視する)ことが私たちに求められているということです。

「聖霊に委ねる」「聖霊に明け渡す」の意味は、聖霊をただやみくもに信じて、聖霊に任せればいいということではないということです。

私たちはしなければならないことがあるのであって、それは見ること、つまり直視していくことが求められているということです。

何を見るのか?何を直視するのか?

それは、自我です。

自我は常に差異を見ては価値判断(ジャッジメント)をし続けています。

その自我に気づいていくことが、私たちがしなければならないことです。

そうしてはじめて私たちは、その自我(自分)を脇に置く(価値判断を脇に置く)ことができるようになるわけです。

「聖霊に委ねる」「聖霊に明け渡す」という実践はそういうものだということをしっかり理解しておきましょう。


言葉は象徴の象徴にすぎないということ

上記で述べたように、それは「聖霊に委ねる」「聖霊に明け渡す」ということだけではなく、私たちコース学習者が実践をしていくにおいて、その形而上学をしっかり理解していくことはとても重要なのだということが分かるはずです。

しかし、言葉は象徴の象徴にすぎないということを、忘れてはならない。したがって、言葉は実相からは二重に隔てられている。(M-21.1:9-10)

奇跡講座/中央アート出版社

コース学習者の私たちは、コースの言葉を通して学んでいくわけですが、その教えの内容を理解していくようにならなければなりません。

つまり、コースで書かれてある言葉はそもそもが比喩(象徴)であるということを理解していく必要があるということです。

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